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麦畑の家.../原風景

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麦畑の家... / 原風景 その5 湖畔の親戚

麦畑の家... / 原風景 その5 湖畔の親戚

父と母の実家は、共に霞ヶ浦湖畔に在った。
母の実家は、霞ヶ浦の北の入江の奥にある高浜という街で常陸の国、府中と繋がりがある歴史あるところである。小さいながら商店街があり、常磐線の小さな駅もある。鉄道が出来るその昔は高瀬舟が寄る港もあった。

父の実家も霞ヶ浦の出島の先端にある小さい集落で田伏と言った。
だからお互いの実家へ行くときは、昔は手漕ぎ船で行ったと母から聞いたことがあった。向う岸に見えるの

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麦畑の家... / 原風景 その4  砂塵と泥地

麦畑の家... / 原風景 その4 砂塵と泥地

そこは関東ローム層を覆う黒ボク土が開墾された新治台地が広がっていた。北側を見ると筑波山系の南端の雪入山が見えるが、他は見渡すかぎり平地で、乾燥すると砂埃、雨が降ると泥地になるという今では想像も出来ない日常があった。

越してきて、春一番が吹いた時のことです。
朝起きると布団の周りのたたみが、じゃりじゃりするのです。よく見ると、畳の上に薄っすらと細かい砂が積もっていた。
今の住宅のアルミサッシと違い

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麦畑の家... / 原風景 その3 新光開拓通り

麦畑の家... / 原風景 その3 新光開拓通り

新しい家は、戦後開拓農家が入植して開発された地域にある麦畑や梨畑の真ん中に建てられた。
そこには、新光開拓通りと呼ばれる道が旧水戸街道の宿場から南南東の方向に伸び、私達が通う小学校を経由し、常磐線の小さな駅とその駅前商店街へと続いていた。
その地域は新治(にいはり)台地と呼ばれ、そのため畑や果樹園が多かったが、少ない低地には水田もあり、そこへ農業用水路が繋がり、そこに霞ヶ浦から機上で揚水した豊富な

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麦畑の家... / 原風景 その2

麦畑の家... / 原風景 その2

その家に急いで引っ越してきたのは理由があった。その4月に私がその地区の小学校へ入学する予定だったからだ。慌ただしい引っ越しの数日後、小学校の入学式の前日母に連れられ歩いて行った。子どもの足で歩いて20分のところに学校は在った。
通学する道は、畑の中を通る新光開拓通りで、それを北へ向かって歩くと赤松林があり、その林の中の薄暗い小道の先に小学校はあった。

母と一緒に歩くのは、好きだった。元々色々なこ

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麦畑の家... / 原風景 その1

麦畑の家... / 原風景 その1

今住んでいる所に、家族3人で引越してきたのは、1964年東京オリンピックの前年の春だった。その周りは一面の麦畑と梨畑が広がる田園で、周囲の農家が数軒点在するだけだった。家の東西と南には、黄色く色づいた麦畑が広がり、北側は唯一梨畑だった。南方向には、民家は遠くに2,3軒見えたが遥か彼方のように思えた。夜は静かで、時々鉄道を走る機関車の汽笛が聞こえた。
新築の家はまだ完成していなく、電気も水道も無く、

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