徳川家康ってきっと本人にあったら「どうした、家康」と言ってしまいそうな人だったんじゃないか説
もし、タイムマシンで実際に日本の歴史上の人物に会えたとして、一番イメージと異なる雰囲気を放っているのは、徳川家康かもしれない。
『どうした、家康』を読み終えて、この仮説が頭から離れない。
幼少期からハードモードのスタートを切り、一つの決断で1を得ても10を失う(もしくは20の苦難を背負う)生涯を送り続け、晩年にはそれまでの生き様を黒く塗りつぶすような所業で「狸」のイメージを刻む。
しかも、歴史をきちんと追っていくと、イベントに事欠かず、変化が著しく、本人のパーソナルは意外と一貫性がない。
影武者説が今でも根強く残っているのも、なんとなく理解できる(笑)
まるで、徳川家康は「人」というより、集約する「器」として存在していたかのようだ。
もしかしたら、その揺れ動く様にこそ、あまり出さなかった(本人も出し方がわからなかった)家康へのヒントが隠されているのかも。
本書は『どうする家康』で脚光を浴びる徳川家康を描いた短編オムニバス集。
合計13名が家康の生涯をそれぞれのレンズから描き出すエンタメ感を楽しめる一冊だ。
織田信長、豊臣秀吉はもちろん、家康を固める家族や家臣、大名や武将、僧や商人、農民など、彼と関わる人はとにかく幅広い。
そして家康が生き続け、関わった人たちが先にいなくなることで、徐々に彼らの残したものを重荷のように背負いながら歩む姿が、年を経ることに鮮明になっていく。
「自分」という個の単位が、数多の人から影響を受けた「自分」という単位になっていき、多面的で多層的な家康が浮かび上がっていく様が、時代によって別人かと思われるほどの変化につながっているのかもしれない(それでも根本的なところは変わらない?笑)
最後の稲田さん作のように、晩年の家康「ここまでの人たちの思いを背負う」役割を主体的に担っていたのかもしれない。
壊れることなく生き抜き、ままならない社会を整えたことで、江戸幕府は民の同意を得て成立し、約270年の「安心感」を醸成する。
家康が生きたことが歴史に残り、そして自分に大きな影響を与えた者たちと一緒に日本の歴史を動かしたことを、確かにぼくたちは受け取っている。
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