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100円均一がある生活と、ない生活

ドイツに住んで9年の私が、出産のために日本に帰ってきて5ヶ月が経った。日本の生活は便利すぎて、ドイツに帰りたいという気持ちは小さなポケットに収まりそうなくらいちっぽけなものだ。

それでも、長く外国に住んで日本に再度暮らし始めると、便利すぎて麻痺しそうなことが多々あるなあと思う。その代表格が、100円均一だ。

100円均一のある生活は、それはそれは便利で。私の父親は、孫用の母屋から、DIYするための道具など、ほぼ毎日100円均一で何かを買っている気がする。

ドイツにも、一応1ユーロショップという、全ての商品が1ユーロ(2024年5月現在約169円)で買えるお店はあるのだが、品揃えも質も100円均一には到底及ばない。店の規模も小さく、買いたいものがあって行っても、当該商品が見つかる確率は半々といったところ。

100円均一には、買いたいと頭にあるものは、大体あるし、品揃えが良すぎて、買おうとは店に行くまで思っていなかったものまで買ってしまう。

日本に帰ってきた当初は、最強100円均一がある生活が嬉しくて、何でもかんでも買ってしまっていたのだが、ある日ふと思った。100円均一で買ったもの品々を、ドイツにいたら買っていただろうか?と。

実父も、私も、安いからと言って息子のおもちゃを100円均一で買いまくっていたので、おもちゃは増えるばかり。特に、息子が気に入った100円均一で購入した車は、パワフルな息子の手にかかれば1日しか持たない。(汗)

100円で、ほぼ何でも手に入るのは素晴らしいけれど、購入したもの有り難みを感じにくい。だって、たった100円しか払っていないし、壊れたらすぐに買えばいいから。

日本に帰ってきて、5ヶ月。ここ最近は、100円均一で買い物することはほぼなくなってきた。日本帰国当初は、ただ買い物するのが嬉しくて楽しくて100円均一で何でもかんでも買ってしまっていたと思う。

100円均一がある生活は、便利だ。でも、100円均一がなくても私たちは生きていける。100円均一がない方が、モノを大切にし、あるモノで工夫して何とかして生活できる。日本での生活は快適だし大好きだけれど、100円均一がなくても、暮らせるドイツでの生活も悪くはないんだよなあと思うのである。


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