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フィレンツェ短期留学記 前世はメディチ家の家政婦?

さてさて、ここまでACQUA DELL'ELBAの取り組みについて触れてきましたが、どのようなフレグランスブランド組織なのか、少しは知ってもらえたでしょうか?

少しまじめな記事が続いたので、
ここからはエルバの話題からちょこっと離れて、
私のフィレンツェ短期留学記をゆる~くお届けしたいと思います!

そもそも私がイタリアの中でもフィレンツェを愛するようになったのは母の影響から。

フィレンツェに出会う前に、まず第二の故郷であるかのようにどっぷりのめり込んだのが京都の暮らしだった。

そして、その京都に惹かれた要因も母の影響だった。

京都の大学を出た母から、当時の楽しかった学生生活の思い出話を聞くうちに、
いつしか自分も京都の大学へ進みたいと思うようになり、
なんと気づけば母と同じ大学へ進学することに。

それから約15年間に渡る京都での暮らしは、本当に楽しく、学びも多く、
そして数えきれない程の素晴らしい出会いと経験という財産を与えてくれた。

桜舞い散る高瀬川
一之船入

そんな京都での生活を送っていたある日、母と二人でヨーロッパへ行こうとの話が持ち上がった。
お互い初めてのヨーロッパだったが、母は何の迷いもなくイタリアへ行くと決めていた!

そう、母の大好きな京都、そしてその影響を見事に受けて京都の虜になっていた私の母娘2人旅ということで、
京都の姉妹都市であるイタリアのフィレンツェへ行かずしてどこへ行く??
と言わんばかりの熱量で、有無を言わさずフィレンツェ行きが決まったのだ。

そして、いざフィレンツェへ降り立つなり、その美しさに圧倒され、
現実にこのような街が存在するのかと
夢のような瞬間に感じたことを、10年以上経った今でも鮮明に覚えている。

歴史ある「千年の都」京都の風情と、「花の都」フィレンツェの華やかさは、
どちらも歴史を重んじながら当時の文化を大切に継承し続けている素晴らしい街だと心から感動し、
言うまでもなくフィレンツェに一目惚れし、その美しさに恋に落ちた。

一瞬で恋に落ちたフィレンツェの街
正に〝天井のない美術館〟


その後、フィレンツェを訪れれば訪れるほど、
知れば知るだけ奥が深く魅力的で、

恋心から愛に変わっていった(照)

前世はメディチ家親族…なんて言ったらおこがましいにも程があるので、
メディチ家の家政婦だったのではないかと、、いうことにしておきたい。
それ程にフィレンツェが心から好きで、ありのままの自分でいられる場になっていた。

Ponte Vecchio

前置きが長くなったが、
そんなこんなで、年に一度はイタリアへ行くようになり、
三十路目前に何を思ったか、、、
旅行だけでは足りないと、フィレンツェへ短期留学へ行くことに。

学生時代にフィレンツェと出会っていたら…
一年でも二年でも留学に来れていたのに…
と悔やむ思いもあった反面、
三十路手前という時だからこそ、それなりに社会で経験を積み、視野を広く持てるようになった状態で行けたことに良かったと思っている。

4歳から始めたピアノを今現在も続けており、
留学へ行くと決めた時も、
せっかくクラシック発祥の国の一つであるイタリアへ行くならピアノ指導も受けてみたいと、
音楽に特化した語学学校へ通うことにした。


まだ肌寒さが残る3月
夏以外にフィレンツェへ訪れるのは初めてだったが、
澄んだ空気の中に聳え立つドゥオーモは、夏に見ていた時より威厳に満ちているように感じた。

Cattedrale di Santa Maria del Fiore
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
《ドゥオーモ》


ドゥオーモからセルヴィ通りを入ってすぐのアパルタメントを借りた。
窓を開けるとドゥオーモが見え、毎朝鐘の音を聞きながら目覚める
これ以上ない幸せな環境。

窓からドゥオーモが見えるお部屋

小洒落た内装とインテリアが、イタリア生活に胸膨らませるワクワクした気持ちを増幅させ、
その時既に、素敵な滞在になる予感しかしなかった。

イタリアらしさ溢れるお部屋
ワインは必須

着いた翌日から学校ということで、初日は部屋の掃除と必要物資の買い出しに駆け回り、
黙々とMia casa(私の家)作りに勤しんだ。

ひと休みでテラスに出ての一杯も、これまた最高。

今まで飲んだモレッティの中で
断トツに美味しく感じた


もう気持ちは完全にイタリアーナだった。

そしていよいよ初登校!
石畳の道を歩きながら、フィレンツェの街中を登校していることが信じられない程に嬉しく、
胸の高鳴りを抑えられずに、小走りになりながら学校へ向かった。

続く




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