こいは忘れられない【旅先ショート⑧】
いろは坂みたいな坂道を登る。
修学旅行を思い出した。
馬力の出ない原付で登って行く。
きっと走ったほうが速い。
昨夜の雨で道路が濡れているから、カタツムリみたいだ。
五分ぐらい木のトンネルを進めば「花の奥山高原」に到着する。
古くから続いていたこの場所も今日でおしまい。9歳の頃に行ったのが最後だから30年ぶりくらいかな。8月は無料開放されているし、今日は人で溢れていると思っていた。
だって今日は最後の日曜日だから。
チケット売り場はシャッターを閉じ、ゲートは解放されている。
「今までありがとう」と顔出し看板が言う。
全ての人を出迎える準備はできていた。
なのに、人は誰もいなかった。
「寂しい」なんて言葉じゃ収まらない。
形容する言葉を探しに足を踏み入れる。
最初に目に付くのは深緑に染まったため池。
今にも沈みそうな池のデッキに近づいた。
木製のデッキはミシッと音を立てた。
久々の来客に喜んでいる。
デッキの右端には鯉の餌の自販機が設置されていた。100円の入口は堅く閉じられ、大きな文字で売り切れと書かれている。昭和に取り残され、その機能を失っていた。
さらに池に近づいた。
その音を真っ先に聞きつけたのは、無数の鯉。
待ってましたと言わんばかりの勢いで俺の前に寄ってくる。
夢中で口を動かす鯉を真似て、口パクで餌がない旨を伝える。
鯉たちには伝わっていないのか、口をパクパクさせ続けた。
きっと鯉は、人が来なくなることを知らない。
餌の自販機が壊れていることさえも知らない。
例え、全ての人がここの存在を忘れても、
鯉は人の気配を求めて泳ぎ続ける。
少しだけ救われた気がした。
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