いつも体が覚えているのは幸せだと思えたあの瞬間ではなくその後の空虚感や無くなってしまうかもという恐怖心であって、その感覚はいつまでも変わらない。

痛い。頭が痛い。痛い。痛い。
ずっと痛い。
突然始まった頭痛の毎日。
元々頭痛持ちではあったが
こんなに毎日続くことはなかった。
午後になると痛みが始まり
動けず寝込むほどの痛みが続いた。
仕事も休んだ。
痛みが続くきっかけと思われる頭痛があったが
あの日は地獄だった。
寝不足が原因の頭痛が始まり治らず
なんとか耐え唸りながら仕事から帰宅する途中に
吐いた。
あと30mで家だったが
耐えられないほどの急激な
そして異常な吐き気だった。
あの日が完全にトラウマになった。
またあの痛みがきたら、
またあの吐き気がきたら、
それが仕事中だったら、
それが電車内だったら、
タラレバが私を苦しめた。

きっかけはあの日だったが
元の大きな原因は日々のストレスによる
緊張型の頭痛とのことだった。
(あまりの辛さに頭痛外来に通院した)

元彼が整骨院の院長で
頭痛のことを相談したら仕事後にうちにきてくれた。
手技や鍼をそれは時間をかけて丁寧にやってくれた。
彼は技術的はもちろんだけど
精神的なこととかそういうこともいつも聞いて見抜いてくれた。
まぁ元彼だから私もあれやこれやと話すのだけれど。
彼に言われた言葉が刺さった。
「仕事とかのストレスはもちろんだけど
ホルモンバランスの異常もあるね。
セロトニン、いわゆる幸せホルモンってのが出てないんだね」

緊急事態宣言の中
家にいることが全てで
人に会えない出歩けない毎日。
一人で過ごす一人の毎日。
仕事はしていた、幸い。
家に篭りきりでなくて済んだし
事務的なこともあれど人と話せた。
これは幸いと思えたが
いつもと異なる仕事の仕方、
いつもと異なる組む先生。
イレギュラーな仕事に順応していこうとしていた。

環境の変化に圧倒的に弱い体質。
頑張ろうとすればするほど
自分を殺して自分を責めて
自分を追い込む性格。
出口の見えない
誰も答えがわからない
新しい生活。

自分を取り巻く様々な要因が
自分自身を苦しめた。

そんな中でも平常を保ちながら
ささやかにでも幸せになりたいと願った。
小さい頃から幸せになるのが苦手だけど
それでも必死に自分は幸せだと思い込もうと
自分で自分の機嫌をとろうと
もがいていた。
好きなスイーツ食べたり時間かけて料理を作ったりお花飾ったり長風呂続けたり。
自分で生活に幸せを求めてみようと頑張っていた。

でも、わかった。
私は自分の力では幸せにはなれないのだと。
誰かといないと誰かとじゃないと
幸せになれないんだな。
幸せを感じ取れないんだな。
体が異常になるほど幸せって難しいんだな。
そんな自分に嫌気がさした。
嫌いを通り越して虚しくなった。

幸せってなんなんだろう。
誰が作れるのだろう。
どこにあって
どうやって手に入れるのであろう。
一人では
幸せだとも思えない、体なのか。

体が異常と感じるほど
幸せが遠い。

地獄の頭痛はそんなことを教えてくれた。
いや、その事実の方が地獄ではないのか。
笑ってしまう。

幸せはいいねの数では決まらない。
人の幸せが自分の幸せだとは限らない。でも自分が幸せだと感じることが
どんなことかが自分でわからない。
だから人の幸せが羨ましい。
わかりやすくて羨ましい。
今日は誰が誰との幸せをSNSに更新する?
一人でいることは幸せだと思ってもらえたいんでしょ?
だから私はSNSを更新しない。

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