【PERFORMANCE】敷地理+イ・ソヒョン「unisex#01」

2022年12月5日@野毛のにぎわい座

部屋の中央に、天井から何かが吊られている。丸く黒い石のように見える。その吊るされたものを中心として、壁沿いに円になって椅子が置かれている。観客は舞台を囲み、席につく。

部屋が暗転して、しばらくの無音。暗所への不安から反射的に心拍数が上がる。人の足音が聴こえてきて、意識がそちらにスライドして落ち着いてくる。

舞台中央に照明が当たり少し明るくなり、誰かが歩いているのがぼんやり見える。音楽がかすかに聴こえる。もう一人。二人は観客を挟んで舞台の内と外を反時計回りにゆっくりと、足を少し擦りながら歩いている。彼らが近づいてくると、音楽がだんだん大きくなり、遠ざかると小さくなる。

舞台中央に移動し、各々が床、身体に手をかざして、その手にガイドされるように、反発するように、滑らかにゆっくりと動き続ける。

次第に、独立していた個々の身体に関係が現れてくる。相手に手をかざして働きかけ、それに応じて身体が動いていく。

触れそうで触れない距離を、互いの息遣いを感じながら保ち、交わらない、平行線な関係が官能的なムードを生み出していく。

そして一定の距離を保っていた動きに、触れてしまったり、戻ったり、ためらったりと、信号の乱れのようなリズムが出てくる。

両者の距離は近くなり、息遣いは激しくなり、正面から互いの胸に頭をしまう形で組合い、二人の頭部が見えない状態になる。

一度組み合うと、今度は保たれていた距離を0にしようとするかのように、足をかいてエネルギーをぶつけ合い、その身体はひとつの熱源、肉のかたまりのように見えてくる。

やがて、中央にぶら下がるものを意識するようにその周りへ移動し、最終的にはそれを掴み、観客の上を円を描いて回るように投げ放った。

天井から吊られたチェーンの先についていたのはスピーカーで、終盤への展開と共に、序盤に流れた曲が再び流れ始め、スピーカーの動きにより、その音がぐわんと近づいたり、ふっと遠ざかったりする。向かってくるスピーカーを避けてのけぞる人もあった。

この音の遠近感は、いままでのことを回想しているような懐かしい感覚になった。走馬灯のようなエンディング感。音の聴こえ方で、思考の感覚が変化している。

両性具有の神が男女に分離されるアンドロギュノスの神話にインスピレーションを受け、制作されたという作品。

“1が2になる”分離の力と、“1に戻ろうとする”引き合う力の働きが、二つの身体、そして音という見えない要素で表現されているようだった。

私には男性でも女性でもない発光体になりたいという願望がある。その理由は考えたことはなかったけれど、社会的ジェンダーによって規定された性別によりこぼれ落ちた異性性(私の場合は男性性)の回復を求めているのかもしれないと、今回の作品を観て気がついた。

本来、人は女性性も男性性も持っており、それはグラデーションで表れてくるものだと私は考える。しかし、それらは目に見える形で、または見えない空気のようなもので、社会という外部からラベリングされて、そのあわいを失っていく。

その失われた部分を、人は他者に求めたり、あるいはまた別の形で(ファッションもそのひとつと思う)自分自身の中に取り戻そうとしているのではないだろうか。

普段は顕在化されていない“1に戻ろうとする”意識が、二つの身体の交わりを通して浮かび上がってくる作品だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?