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中学時代の宝物の話

先日、ふとした時に中学時代のある出来事を思い出した。

中学生の頃、私はいろいろなストレスから自分のクラスの教室へ行くことが辛くなってしまった時期があり、保健室登校という形を取りながらスクールカウンセリングにお世話になっていた。

ある日のカウンセリングで、その日は同級生のAちゃんと私、そしてスクールカウンセラーの先生、3人で話をすることになった。
確か、カウンセリング予約窓口の先生が私とAちゃんの予約をダブルブッキングしてしまっていたからだったと思う。

私とAちゃんは親しい友達というわけではなかったが、お互いに小学生の頃からの顔見知りで、中学に上がってからも保健室でたまに一緒になった時はお喋りをする仲だった。それならどちらかをキャンセルするのも申し訳ないし、特別に一緒に話そうかということになったのだ。

Aちゃんは、所謂スクールカーストの上位グループに属する子だったが、とても明るい性格でグループに関係なく誰とでも仲良くするタイプだ。
でも、ただ明るいだけではなく、傷つきやすい繊細な一面も持っていた。Aちゃんがカウンセリングを受けていたのも、そういうことなのだろう。

3人でカウンセリング室に入り雑談をした後、先生の提案で「自分の宝物」を思い付くだけ紙に書き出してみようということになった。

宝物と言われてすぐに、私は当時大切にしていた本や漫画、大好きなアーティストのCDが思い浮かび、それらの好きな部分を考えながら楽しい気持ちで順番に書き連ねていった。

しばらくしてそれぞれが宝物を書き終え、何を書いたのかを見せ合った。
先生が私とAちゃんの書いた紙を見比べ、「あなた達はおもしろいくらい正反対だね!」と笑った。

私は先程書いた通り、本などの'モノ'ばかりを並べていたが、Aちゃんの宝物を見せてもらうと「家族」「友達」「先生」と周囲の大切な人のことがたくさん書かれていた。

私はそれを見て自分のことが恥ずかしくなった。
宝物を聞かれて、一番に家族や友達が出てこなかった。自分のことしか頭になく、周囲の人のことなんて思いつきもしなかった。
楽しい気持ちで書き連ねたはずの大好きな本や漫画やCDが、急にただのガラクタのように思えて、私って本当にヤバい奴なのかも、と恥ずかしくて消えたくなった。

かなり動揺していたので、その後先生が何を話していたかハッキリとは覚えていないのだけど、Aちゃんは外向的で、私は内向的、どちらが良い悪いではなく、それがあなたという人なんだよ、ということを言ってくれたと思う。


今、あの時と同じように宝物を書き出すとしたら、真っ先に「家族」が出てくるだろう。
そして、あの頃の私の宝物だった本や漫画、CDは今ほとんど手元にない。
決して嫌いになったわけではないが、歳を重ねるごとにそういったモノへの執着が自然となくなっていき、気付けば手放していたのだ。

あの頃は、いろんな本や曲の中から共感できる文章や詩を見つけて、集めて、「私はこうなんだ」という確認作業をしていたように思う。
その作業をすることで、周囲に馴染めない自分を「これが私なのだから」と必死に守っていたのだ。

あの頃に読んで聴いて感じたことは私の中に根を張り、生きていくための力になった。
だから、モノとして手元に残っていなくても、私の宝物だったことに変わりはないし、今の自分はそれを恥ずかしいとも思わない。

好きなものをたくさん見つけて、自分を認めようと必死になっていたあの頃の自分が、今の自分を作ってくれたのだ。
あの時はガラクタのように思ってしまったけど、絶対にガラクタなんかじゃないよと、あの頃の自分に言ってあげたいと思う。

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