見出し画像

誕生日

 自分が死んだ後、自分の人生で関わった誰かは私のことをどのように思い出すだろうか。その人から見たその時の私はどのような記憶として残っているのだろうか。良い所、悪い所、何でもない何気ない行動、私ですら忘れてることを覚えている人はいるのだろうか。どれだけの時間をかけて思い出すだろうか。
 もし、思い出してくれる人が居るのなら、私の身体はこの世から消えても、その人の記憶としてしばらくはこの世に残ることができるだろう。

 彼はいじめられていたが不登校ではなかった。中学2年で同じクラスになり隣の席に居た、その年に仲良くなれたのは彼が毎日学校に来てくれていたから。
 私は田舎の中のド田舎のような地域に生まれ育った。中学生の頃はちょうどメールよりLINEが主流になり始めた時期でもあった。他校の子とも繋がることができるし部活の大会や練習試合で顔を合わせれば何となくすぐに友達になれたりもした。同じ学校であればクラスは違っていても学年全員の顔と名前ぐらいは把握できていたし、もちろん彼の存在も知っていた。
 最初の会話はあまり覚えていないが軽く「よろしく」程度だったと思う。2年生の初めの頃、隣に座っていた彼が話し掛けたそうにチラチラ見たりペコペコしていたことは今でも思い出すことができる。その頃の私は仲の良い子以外にはツンケンしていたし、最初はたぶん話し掛けづらかっただろう。
 修学旅行は"行く場所"より"班のメンバー"が楽しさの決め手となる。とはよく聞く話ではあるが、正直なところ私もこれには同意だ。最初の話から飛んでもう10月の話になる。それまで月に1回の席替えで彼と隣の席になるのはテスト期間のみになっていた。あ、そういえば男女別の出席番号が同じだったから日直を一緒にしていた、彼と話すのは日直当番が回ってきた時ぐらいだっただろうか。それ以外でも話すことはあったと思うが覚えていない。修学旅行の班決めは、まずクラスから何人かがリーダーとして選出され、その決まったリーダーたちが集まって班にメンバーを振り分けていく形だった。そして、彼を含めた男女6人が同じ班になった。私は判別行動の時に彼のふざけた姿が面白くてたくさん写真や動画を撮っていて、それが仲良くなったきっかけになっていたと思う。

 成人式で帰省した時、久々に会う友達がほとんどだった。高校卒業後すぐに上京した私は地元の友達に会うのが数年振りになっていた。同窓会は中学のメンバーで行われる。5〜6年振りに話した彼のぎこちなさは初めて話した時とそっくりだった。中2の頃同じ目線だったがすごく背が伸びていてスラッとしていて髪型もまぁ個性的になっていた。軽く話して写真も撮ったが私はその写真を持っていない。
 話すのが5〜6年振りって、そんなに経っていたのかそこまで経っていないのかも分からない。中学3年で彼とは違うクラスになり話すこともなくなった。普通のことだ。高校も違う、部活の練習試合でその高校に行くこともあり、1〜2回ほど彼を見かけたが、お互い目も合っているのに近づくことも話すこともなかった。彼と関わりがあり仲が良かったのは本当に中学2年のたった1年間だけだった。

 中学で部活が一緒で高校では部活もクラスも違ったが仲の良かった友達が結婚式に招待してくれて九州へ行くことになった。行ってみるとこれまた数年振りに会う友達ばかり、成人式振りだから4年は経っていた。日程が好きなアーティストの大事なライブの日と被っていて知った時は少し複雑な気持ちだったが、友達の結婚式を選んでよかったと思っている。全く後悔は無い。本当に良い式で友達の人生の大舞台を観ることができて人の幸せではあるが、人の幸せに対してこんなに幸せになれることがあるのか、友達の幸せの大舞台を見届けるつもりが自分が逆に幸せを与えてもらえたような気持ちだった。"結婚式の招待は迷わず受け入れろ"です。
 結婚式の招待で私は2〜3日同じように招待された友達の家に泊めてもらうことにした。この子もと中高と仲が良かった。一緒に卒アルを見て色々思い出して懐かしくなっていた。この友達は中学の修学旅行で同じ班のメンバーの一人だ。
 彼が死んだと知ったのはこの時だ。卒アルを見ながら友達が教えてくれたのだ。彼が自殺したのはもう1〜2年前のことらしい。友達が「ねぇ、知ってる?◯◯君のこと」と切り出したとき私は彼が結婚したか子供でも居るのかとか一瞬思ったのだが、それは現実じゃなかった。話を聞いた時はショックを受けたがなんとか平静を装った。次の日は1人で行きたい場所に行く予定を立てていたから目的地に向かう途中彼のことが頭から離れなかった。この一日どころかその後約3ヶ月は毎日彼のことを考えていた思う。
 人生の最幸のスタートを見届けた日に人生を終えた彼のことを知り、私は人生というものの全てを見ている気分になった。この二つの間に居るのが私でもある。気になることはやはり、何故ということ。どうしてなのか、死ぬとき何を思っていたのか、死んだ人に対して何で死んだのか?と思うのは皮肉なものだ。何を考えていたのか、少なくとも"明日"のことなど考えてはいなかったのだろう。彼の中にあったのは"昨日"までのことだろう。

 今だったら彼と中学のあの1年間のような仲になれるかもと数年前から思うようになっていた。今の私は昔と違っていて人にすごく興味があるし人が好きなのだ。色んな人と関わり、色んなことを思い出し、色んなことを反省したり色んなことを思い馳せる。彼との思い出は面白くて笑ったり楽しかっただけでなく、ムカついたり嫉妬することもあった。
 当時、私から見た彼は運動も勉強もできてお洒落もできて、かなりではないが少し面白いという印象だった。バスケや駅伝をしている姿を応援しに行ったり、頭の悪い私に図書館で数学を教えてくれたりと思い出もある方だ。だがこれらは私の思い出であり私が知っている彼、というだけで全員が知っている彼ではない。私が知っている彼のほんの一部であり、私が知らない彼の部分はたくさん想像もできないぐらいあるはずだ。私にはこう見えるがある人にはこう見える、全員が知っている彼などいない。全員が知っているのはそれぞれ自分から見えている彼の側面でしかないのだ。

 SNSの良いところは死んだ人が生きているときに残した考えを調べることができるところでもある。彼の命日を知らない私はどうにかして知らない時期の彼を知れないかと思い名前を検索した。彼のアカウントを見つけると亡くなった時期が大体予測できた。
 生前に語っていた自己紹介のようなものも見つけたが、彼が中学の頃にいじめられていたとぼんやりと思い出せたのはこれのお陰だ。人がいじめられていたことなど第三者にとってはすぐに忘れ、思い出すこともない出来事なのかもしれない。思い出したとしても、そんなことあった"気がする"程度だ。今までこのことを思い出せなかった自分が恥ずかしい。だが、これがあの頃人に無関心だった私の現実だ。
 私は今こうして彼のことを思い出しているが、もし仮に彼がまだ生きていたらこんなに彼のことを思い出すことがあったのだろうか。恐らく、死んだと知ったから思い出している。私が生きているから彼のことを思い出し、書き起こすことができているし私が死んでいれば彼の思い出ごと死んでいるだろう。私サイドの彼の記憶は私が死なない限りはこの世に残っている。彼は死んでこの世に居ないが今でも私の記憶に存在している。

 あの頃の態度はごめんとか、あの時ああ思ってたとか、ちゃんと人に好きと言えるところはかっこいいとか。今だったら素直に思うことを伝えているだろうか。現実、5年振りに話した人が5年後にはもう居ないなんてことが普通に起こるのだ。

 今日が誕生日ということを私は今でも覚えている。まだ生きていたらおめでとうと伝えていただろうか。

 私が生きている間は、ここから去って行ったあなたのことを思い出し、私の記憶としてこの世に存在する。私は記憶の中のあなたに何度でも会うことができる。今日が誕生日であってもあなたは歳を取らず、永遠に若い。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?