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呪いの消化とお金と時間

ヒトは生命を脅かされるようなつらい経験をすると、脳に刻み込まれる生き物だ。

例えば、お金。
お金とは、現代日本において最も生命と直結するように"みえる"物質である。
実際には生活が保障されており、食べ物が(手段を選ばなければ)手に入る社会である。
しかし、お金に関するいざこざがあるとヒトは変わってしまうことがあるのかもしれない。
それは本能的な何かがそうさせるのかわからないけれど、牙を剥かれた側は生命を脅かされたと感じると脳裏に強く刻まれる。

例えば、暴力。
直接的な攻撃もまた、対抗手段がない場合は身体がその状況を記憶する。

そして言葉。
全く物質的に影響しないようにみえる言葉は、実は1番ダメージを負うのかもしれない。
言葉による脳への直接攻撃は、1番見えなくて、傷跡が残らなくて、身体の中で最重要器官の部分の傷となる。
実際に脳が縮小する。
それは脳の大きさが劇的に増す幼少期であればあるほど、影響は大きい。

これらが複雑に絡み合い、合わせ技のようにコンボをきめられるとおそらく消化できずに永遠と呪われる。

呪われると、随時体力と精神力ゲージが削られていくドラクエ仕様になっている。
呪いはなるべく早く解いておかないといけないと思う。

他人に話すという呪いの解除方法は一時凌ぎでしかない。
その場だけちょっとスッキリするだけで、根本的には呪われているのでまたしばらくすると思い出し、ゲージが少しずつ削られる。
しかし、呪いの共有はエンタメとして面白かったりもする。
呪いは他者と共有すると、思ってもみないところで相手の役に立ったりもするので、自分の呪いも無駄ではないのかもしれない。


私は"嫌な人"はいない。
"行為"を"嫌だ"と思うことはあるかもしれないけれど、"人"を"嫌い"にはならない。
あの時の"行為"を再発させないためにはどう行動すれば良いかを試す。

呪ってくる相手とはなるべく物理的に距離を取るか、より強い呪詛で戦争に勝たなければならないと思う。
しかし、これをしても呪われたことには変わりがないので、新たな呪いを産まないための方法でしかない。

呪詛返しに愛を用いることも、個人的はできると思う。
上級編かもしれないけれど。

現代社会でお金とは、ヒトを笑わせるためにあるものだと思う。
物質的な豊かさを叶えた先にあるものは、精神的な豊かさである。
脳を喜ばす時間が長い人が幸せなのだと思う。

脳を喜ばせるのは、別段大金が必要なわけではない。
少しの知識で世界は変わる。
だから私は調べることが好きである。

人生は面白さを追求してしまうと思っていたよりも短い時間しかないので、私は面白い人と出会えることが幸せである。
面白い人というのは一緒に笑いあうことができる人で、その人のそばにいて幸せを共有すると、より幸せになれる。

呪いを消化できない場合は、忘れる時間を長く持つことが重要なのかもしれない。

そして、許すという行為もまた、自分にとって重要な行動の1つである。
私はここ何年も許し方を求めて彷徨っている。


今日は呪いとお金についてふと考えてみた。

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