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セミとヒト

2020年8月26日 2:50 p.m.

セミが消えた。

ふと窓を開けると、人の足音、自転車のラチェット音、買い物袋が擦れる音、郵便を届けるバイクの音。

それ以外は静寂に包まれていた。

連日の暑さを象徴するかのごとく鳴き続けたセミ。都会では騒がしくも、先週行ったキャンプ地では、とても心地よかった。

先週末の雨をさかいに、2-3℃最高気温が下がった東京。とはいえまだ8月だし気温も毎日30℃を超えている。暑さにへばってしまったのだろうか、鳴き疲れてしまったのだろうか。一週間しか生きないと言われているセミに鳴き声の小休止なんてあるのかな。


ボクはまた、いつも通り1週間を過ごした。朝起きて、バイトに行き、終わればジムで汗を流す。午後からは、note編集やHP作成など少しパソコンをいじり、夜になればまたバイトに行く。

何の変哲もない一週間だ。変わるのは、休みの日の登場人物だけだ。友人とランチをしたり、ゲームで遊んだり。過ごし方によって登場人物が変わる。

ボクはセミ以下かもしれない。セミはだれにうるさいと思われようが、一週間という限られた命の中で、懸命に鳴き続けている。彼らに登場人物なんて関係ない。ボクは一週間をどう過ごせるだろうか。本気で過ごしたことがあっただろうか。


余命一週間ーーーーーーー

ボクの祖父はがんで亡くなったが、医者にかかった時にそう言われたそうだ。

あと一週間しか生きられないと分かったら、あなたならなにをするだろうか。すぐに、なにかを思いつくのであれば、あなたにはまだやり残していることがある証拠かもしれない。

もっと怖いのは、交通事故や通り魔かもしれない。道を歩いていたら、次の瞬間には死んでいるかもしれない。そんなことは決してないのだが、まだ余命一週間と言われたほうが幾分マシかもしれない。

セミと同じように扱うのはセミに失礼かもしれないが、ヒトの命だって同等に儚いものだ。やりたいことを残したまま、いつ終わるか分からない命を今日も進めていっても良いだろうか。


ボクはいやだ。もがいて、もがき苦しんでも、やりたいことをやって突然終わる人生を選びたい。いつかやろうはバカやろう。セミにいつか鳴こうなんて選択肢はないんだ。鳴くこと。これは今、この世界で、彼らにしかできないことなんだ。

夏が終われば忘れ去られていく。一匹一匹の特徴など分からぬまま、鳴き止んでしまっても誰にも認知されない。ヒトだってそうだ。命が尽きて大勢の人に悲しまれるのはごく一握り。

それなら、やりたいように生きてみれば。良いと思うわけです。

そんなことを、祖父が使っていた書斎で思った8月の、夏の終わりの昼下がりだった。

ああ。コオロギが鳴き出した。

2020年8月26日 3:45 p.m.

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