一票の重み
買い物は投票だ
買い物は投票だ。
そう考えたことはあるだろうか。自分でモバイルカフェを起こして早3ヶ月。ひしひしと覚えるこの感覚は、とても新鮮であり、とてつもなく大切なことを教えてくれている気がする。
普段の買い物では、なかなか生産者や中間のステークホルダーの顔が見えないからそう感じることは少ないかもしれない。かくいう僕も投票している感覚など、これを始めるまで全くなかった。
ただ毎日のように「お客さんからお金を受け取る」という行為を続けていく中で、ふと疑問に思ったことがあった。
「なぜ、人々はコーヒーを買うのか」
哲学的かつ本質的な問いに自分なりに考えていることを、少し長くなるかもしれないが書いてみようと思う。できるだけ簡潔にまとめるよう努めるが、長くなるかもしれないので、時間がない人は一旦ここでブラウザバックした方が良いかもしれない。
嗜好品としてのコーヒー
古くから嗜好品とされてきたコーヒーだが、”なくても生きていける”という意味では今でも嗜好品の域を出ないだろう。そして僕が提供しているスペシャルティコーヒーは、コーヒー業界でもトップの嗜好品だ。なんせ品質で言ったら全世界のコーヒー豆の上位10%もないのだから。
そんな嗜好品であるコーヒーを人々が求める理由。
眠気覚まし、美味しい、おしゃれ、眠気覚まし、自分へのご褒美、仕事のお供、眠気覚まし、口寂しくて、眠気覚まし、、、、
なんでも良いだろうが、これは「コーヒーを選ぶ理由」そして「買わないという選択肢を凌駕する理由」にはなりきらないはずだ。
眠気覚ましはガムだって良いかもしれないし、実際日本人はコーヒーよりも緑茶や紅茶のカフェインの方が効果があると聞いたこともある。
美味しさはコーヒーで満たさなくても良いし、自分のご褒美はコーヒーでなくても他の選択肢もあるだろう。
きっとおしゃれさを追求したら、もっとおしゃれなカフェはいっぱいあるだろうし、僕のお店は、現代特有のSNS映えを特段意識しているわけではない。
ではなぜコーヒー、そして数あるコーヒー業界の中から僕の提供するコーヒーを求め、お金を払ってくれるのか。
期待と投票
その答えに対する、現時点での僕なりの答え。それは
「期待と投票」
である。
「この人にお金を渡したい」
そんな気持ちがきっと購買意欲をそそるのだと思う。これは僕のコーヒーに限ったことではない。僕が消費者の立場からしたら、自分が頑張って得たお金を渡すわけである。渡す相手はしっかり選びたいし、できることなら納得した相手に渡したい。
この気持ちは期待だ。そしてそれを購入するという行為に移せば、それは投票になる。
鹿児島県知事選挙の投票日ということもあり結びつけているが、今回の選挙だって、自分が選ぶ人によって自分の将来が少し良くなるかもしれないし、悪い方向に向かっていってしまうかもしれない。そりゃあ慎重に選びたい。
それと同じだろうと思う。数あるカフェの中から、あえて僕にお金を渡してくれる。これは、僕にとっては「頑張ってね」という声に聞こえると同時に、「あなたの将来に期待しているよ」という声にも聞こえる。
みなさんが何時間も働いて得たお金を僕のコーヒーに投票してくれている。そのお客さん一人一人の投票に、僕は応えていきたい。
「少しでも多くの人が希望に溢れる人生を送れるようになってほしい」
これは僕の人生をかけたマニフェストであり、その考え方は僕の人生の転機となったコーヒーメンタリティの教えである。ただこれは決して一人で成し遂げられることではない。もっともっと多くの人を巻き込んでいきたいし、もっともっと多くの人に「この人にお金を渡してよかった」と思ってもらいたい。
みなさんから”預かっている”お金で、これから何を起こせるか。どのようにしてお客さんの期待を超えていけるか。自分もワクワクすることをどんどん行動に移して世の中に還元していきたい。
それが、僕がブレないように心がけている軸であり、みなさんからの投票への意思表示だと思う。
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