映画レビュー 「パラサイト 半地下の家族」"なぜ「全地下」ではなくて「半地下なのか」”
今巷を賑わせている映画「パラサイト 半地下の家族」をご覧になっただろうか?
アカデミー賞にもノミネートされてるこちらの作品。ネット上のレビューサイトでの点数も高く、好評であることが伺える。
観賞後は何とも言えないモヤモヤ感が残り、面白いというよりはクセになる映画だ。しかし何故そこまでモヤモヤするのか。考えてみると色々の発見があったのでシェアしたい。何かの役に立てば幸いです。
*以下ネタバレ注意
この映画の見どころは?
この映画は一般的には格差を描いた社会派映画という評価だと思う。しかしそれとは別の見どころがあると思う。それは"やりすぎない生々しさ"だ。
例えば冒頭のWiFiを求めてトイレでスマホを掲げるシーンは普通に考えるとドン引きだ。無断で上の階の住人のWiFiを使っていたことも、近くのカフェのWiFiを必死で使おうとしてるのもパンチが効いてる。しかし貧困の惨状と表現するにはあまりに滑稽かつコミカルに描かれていると感じた。またギヴとダヘとのキスシーンもサラッと流されたように思う。貧しい自分に仕事をくれた友達が好意を寄せる教え子を寝取るという欲望丸出しな展開だが、青春っぽささえ感じられる爽やかなキスだった。
これ以外にもまだあるが、生々しいシーンをやりすぎないくらいで表現している。その丁度良さがいいなと思った。この映画のテーマはあくまで格差だ。だからそういった人の生々しさを強調しすぎるとテーマがブレる。メインディッシュを引き立てるための副菜として人の欲望を映しながらも、観た人の心をざわつかせる程よい塩梅が私は上手だと感じる。
ジャンルのわかりづらさ
モヤモヤする原因は他にもある。それはこの作品のジャンルがよくわからないことだ。
最初は韓国社会の貧困をえぐり出す社会派のような雰囲気。しかし、その後世間知らずの富裕層を貧困層が騙す痛快なコメディのようでもある。そして中盤で地下室に人が住んでいたことが明かされる場面はサスペンスやホラー性を感じる。そして見終わった後に結局何がしたかったの?と言いたくなるような消化不良感が残る作品という印象だ。
この映画では雰囲気が転々とする。そこの評価は別れるところではないだろうか。個人的な意見を述べるならばもう少し表現したいことを絞って伝えた方が効果的なように思う。もちろんジャンル越境が悪いというわけではない。ただそれが効果的になされているかと言われればそうではないように感じた。
「半地下」の「半」が意味するのは?
なぜこの作品のタイトルは「全地下」ではなく「半地下」なのか?普通なら「半」より「全」の方がインパクトが大きいと考えるだろう。ということはあえてそんな中途半端さを選んだ監督の意図があるのではないかと推測してみた。
その意図を推察するには全地下の住人グンセと比較する必要がある。このグンセはパク家の家政婦だったムングァンの夫であり、主人公一家がパク家に寄生する大分前から地下室で暮らしている。彼はパク社長に心酔しており、自分が生きていけるのは社長のおかげだと言う。死ぬ間際の「リスペクト!!」と叫ぶ甲高い声は強烈だ。
それと比べてキム一家はどうだろうか。彼ら彼女らは貧困を脱しようと努力している。やり方は非合法だが自分たちのやれることを最大限に活かして何とかしようという気がある。それが完全に堕落したグンセとの違いだ。
私はこれを監督からの前向きなメッセージだと解釈した。それは今の状況を甘んじて受け入れるのではなく、やるだけやってみろという厳しい言葉でもある。もちろん貧困に陥るというのは本人の責任ではない。景気の良し悪しはたった1人の人間の手を超えたところにあるからだ。とはいえ自分にできることは全くないのだろうか?キム一家のようにそれぞれの特技を駆使すれば活路は見出せないだろうか?
この映画の最後は息子ギヴが父親を救うために金を稼ぐことを決意する。殺人を犯した人間を匿うのは倫理的には許されないことだ。しかしそういった彼の気概から私たちは何かを学びとれないだろうか。
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