35歳になったので文章を書いた。
大学生のとき、バイト先のカフェで一緒に働いていた2歳上のお姉さんとは今も付き合いがある。全体的にこぢんまりとしていて、美しい黒髪のボブヘアに、耳にはピアス穴がいくつも開いていて、メタルやロックが大好きなお姉さん。彼女が25歳の誕生日を迎えたとき、愛嬌とアイロニーを同じくらいに織り交ぜて
「四捨五入したら立派な30歳です(ニコッ)」
と言ったのを、私は今でもずっと覚えている。
…そうか。25歳は四捨五入したら30歳なのか。
その発言を聞いた2年後に、私も晴れて25歳を迎え「四捨五入したら30歳」を実感して血の気が引いた。その日からまた10年の歳月が流れ、私は今日、35歳になった。35歳って、四捨五入したら40歳である。怖すぎる。
35歳って、とても大人だ。自分の年齢が若いか若くないかは、他者との関係性から相対的に判断されるものだが、主観的に見ればもう全然若くない。
しかも、35歳って大抵のことはできる。できている。結婚して子どもを育てて家を建てていても、全然普通だ。独身であれば、ある程度のお金を自分の意のままに扱えるから、大抵の欲しいものは買えるし、行きたいところにも行ける。
人生における大抵のイベントに慣れてしまっている。
北海道に移住して丸3年も経ってしまった。北海道の冬も今年で4回目だが、バッテリーが上がって車は動かなくなったし、タイヤはパンクしたし、鹿に衝突して廃車にしたし、水道は凍らせて破裂した(酷すぎる)。そのとき、そのときのアクシデントを「北海道に来たからこその経験だ」とポジティブに捉えた。
でも2回目はもう、無理。
2回目は初めてじゃないからおもしろくない。
安定していることが、不安でしかない。そういう人間は、一定数いると思う。私はそうである。
私は「安定」を補強する材料でしかない持ち家や仕事や家族みたいなものをもっていない。これは、今のところ積極的にもっていない。すごいよね。ヤバない?
それでも不安なのである。何がって「安定していないこと」にではなくて、同じ毎日を繰り返していることが不安なのである。
東京にいたら毎日刺激があった。
私は本の仕事をしているので、作家の講演会やトークショーに行ったり、上野の美術館や博物館に行ったり、アートスクールに通って絵を描いたり、大好きな芸人さんがいる劇場や落語家さんのいる寄席に足を運んで笑ったり、そういうことを毎日のようにしていた。毎日どこかの本屋さんに行って、新しい本を探していた。
そういう毎日だったからこそ、ひとつひとつの毎日が、全部違うひとつひとつの毎日だった。私にとって刺激とか、変化とかって、そういうものだった。
でも、北海道ではそういう文化的な充足感を味わうことはなかなか難しい。それは、わかってて移住した。だから、後悔はしていない。帰りたいとも思っていない。だから、本屋をやっているともいえる。
今は、韓国語をものすごく一生懸命やっていて、北海道で日常を生きる私の他に「韓国で生活をするパラレルワールドの私」みたいなものがいることを妄想して、いざとなったとき(=北海道での生活がおもんなさすぎてどうしようもなくなったとき)はそっちを現実の私にしちゃえばいいか、と思うことで保険をかけている。
それでも、足りない。日常にもっと変化が欲しい。
それでちょっと考えてみたのである。
そっか。せっかくアラフォーになるんだから、アラフォー元年の今年は今までやったことがないこと、もしくは、やらなくなって久しくなったことをいろいろ遂行する年にしよう。そう決めた。
そこで、真っ先に思いついたのが「文章を書く」ということだった。
仕事で文章を書くことはもちろんあるし、弊店(月のうらがわ書店)のInstagram(ココ)で記事を投稿するときの本文は、毎回インスタらしからぬ長さだ。ただ、自分のことを書くということは、今までずっとしてこなかった。
需要がないと思っていたからだ。こんなん誰が読むん?
でも、もう35歳である。
夜中にセンチメンタルな文章を書いて「若気の至り」などと言い訳ができる年齢はとうに過ぎたし、需要がない文章が自分の予想どおり誰からも読まれずに心が傷つくというようなことは、もうない。
仮にたとえ読まれたとして、影でコソコソ言われてもきっと大丈夫で、私はそんな人たち相手にしないし、そもそも大嫌いだ。嫌いな人を嫌いと言い切れる図太さも身についた。いやだなぁ。
自分の心にある有象無象を言語化することは、寝ている時間以外ずっとしているので、書きたいことは山ほどある。ただし、書くための時間を取れるかは分からない。
でも、やってみる。こうしてちょっと日々のルーティンを崩して、変化を加えてみる。そうすると、たぶん何かが少しずつ変わっていく。自分が変わるか、行動が変わるか、環境が変わるか。人間関係が変わるか。
ということで、3年ぶりくらいにログインしたnoteは、開設していつのまにか5周年を迎えていて、急にお祝いされた。今まで何かしらの折に細々と書いて公開していたおもんない記事は、全部消した。これから新たに、おもんない記事を書き重ねていく。
「何かあるんじゃないか」と思って大切にとっておいた35歳の誕生日は、大切にしすぎるあまりひとつの予定も入らず、文章を書いて終わった。これは、シンプルに悲しい。
お祝いしてくれたのは、家族と語学学習アプリでやりとりしている韓国人だけだ。ツラい。
今後、自分のあまりにもプライベートなことばかり書くのは、さすがに気がひけるので「月のうらがわ書店」が大切にしていることや、私が大切にしている本の紹介もできたらいいなと思っている。
誰が読んでくれるのか分からないけれど、別にそれでもいい。書くことによって、絶対に自分の未来がちょっと変わると分かっているからいい。でも、やっぱり読んで「いいね!」って思ってもらえたらすごく嬉しい。その人のことは好きになる。
ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。大好きです!
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