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秋が来ると思い出すこと

教員として勤務していた中で、個人的に一番忙しいと感じるのは春と秋。
学校にもよるが、春は学級や学年作りに始まり、運動会、校外学習など月1ペースで何かしらの行事が入ってくる。
秋は合唱コンクール、学芸会、展覧会、(運動会)、職場体験などが同様に月1ペースでやってくる。

私が勤めていたところは、珍しく小中一貫教育を進めていたので、
職員室には小学校籍の教員と中学校籍の教員が両方いた。
合唱コンクールに全力を注ぐ中学校籍の担任たちとそれを文化の違いからか、ある種の冷ややかな視線で見つめる小学校籍の教員たち。
複雑なものが絡み合う温かいのかドライなのかよく分からない雰囲気の職員室だった。

合唱コンクールという行事の準備は、前年度3月から始まっている。
多くの人は夏前あたりからクラスで歌う曲を決めた記憶があるかもしれないが、
教員たちは子どもたちが進級する前から動いているのだ。

私が教員になってからも「行事の精選」というワードは響き続けているが、
少なくとも私が実際に勤務した6年ちょっとの間で、「行事の精選」が行われた記憶はない。むしろ、オリンピック教育(→レガシー教育)、SDGs教育、プログラミング教育など、増える一方だ。

さて、合唱コンクールに関する教員打ち合わせは、改革派(行事のボリュームを減らしたい)と保守派(これまでの「伝統」を守る)でいつも論争となる。
そしてたいていの場合、何十年とその学校にいる保守派の教員の一声で全てが決まる。議論に参加した側は、参加する意味はあったのかと疑問に思うのである。

担任として合唱コンクールに参加した時、担任していたクラスの子どもたちの努力もあって、学年優勝(金賞)をもらうことができた。
しかし、賞状をもらうことができなかった残りクラスは、合唱コンクールを境に学級崩壊。3分の2が学級崩壊したため、校内で学年崩壊だと言われ、次の年度の時には、子どもたちには「○○の時に学年崩壊した代」という目が向けられ、私を含めた当時の学年教員に対しても「学年崩壊させた」という目が向けられた。

職員室も教室も結局は同じ。
職員室で威張っていたり、若手にレッテルを貼ってきたり、自分が一番じゃなきゃ嫌とあからさまに顔に出したりしている教員は、教室でも同じことをする。
そしてそういう教育を受けた子どもたちが大人になっていくのである。

そんな環境に、私は休職を経て復帰できるのだろうか
と不安に思う今日この頃である。



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