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教師だった頃

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自分の教師経験談や教師という仕事に対して思うことをまとめています。
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#日記

秋が来ると思い出すこと

教員として勤務していた中で、個人的に一番忙しいと感じるのは春と秋。 学校にもよるが、春は学級や学年作りに始まり、運動会、校外学習など月1ペースで何かしらの行事が入ってくる。 秋は合唱コンクール、学芸会、展覧会、(運動会)、職場体験などが同様に月1ペースでやってくる。 私が勤めていたところは、珍しく小中一貫教育を進めていたので、 職員室には小学校籍の教員と中学校籍の教員が両方いた。 合唱コンクールに全力を注ぐ中学校籍の担任たちとそれを文化の違いからか、ある種の冷ややかな視線で

「教師」という仕事について考える

私も含め現場にいる人たちは、自分たちのことを「教員」という。 法律上、公立学校では教員と言われているためである。 民間企業では業種によっては1年近い研修があるそうだが、 私たち教員にはそんな時間はない。 無装備で戦場に行かされるようなものである。 結局、踏んだ場数がものを言う仕事だと思う。 そして、飲み会も先輩教員からの評価される場である。 飲み会に行かなければ先輩教員からの評価は落ちる。 そうななると、自分に何かあった時、誰も助けてはくれない。 私は昭和生まれでも昭和

教員生活を振り返る(4年目〜現在)

それなりに試練を乗り越えてきた3年間。 4年目 コロナ禍での学年スタート。2度目の5年担任。 5月まで子ども達は登校できず、週1回担任する全ての家庭に電話をかけたり、家を回って学習プリントなどの配布物を配りに行った。 ゴールデンウィーク明けから始まった分散登校。朝と放課後の消毒作業、給食指導とにかく感染者を出さないために命懸けだった。 実家に帰れば、両親からはウイルス扱いされ、家のドアを開ければ消毒液をいきなりかけられる。そんな実家と職場の往復だった。 5年目 ワクチン接

教員生活を振り返る(1〜3年目)

自分の教員生活を振り返ってみたいと思う。 1年目 大学卒業早々、いきなり6年担当になる。日本史が専門で中学・高校の免許も社会科なのに、理科専科にされる。授業の準備で手一杯なのに、学年行事の企画・運営・事務処理・子どもたちへの指導で見事にパンクする。 教員2ヶ月目で校外学習の学年の引率責任者になる。電車に乗せたり、歩道を歩かせることに恐怖すら感じた。 指導教官(男性)と同じ学年を組んでいた女性先輩教員が付き合い始めるのを目の当たりにする。学年を組んでいる教員同士がカップルにな