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「教師」という仕事について考える

私も含め現場にいる人たちは、自分たちのことを「教員」という。
法律上、公立学校では教員と言われているためである。

民間企業では業種によっては1年近い研修があるそうだが、
私たち教員にはそんな時間はない。
無装備で戦場に行かされるようなものである。
結局、踏んだ場数がものを言う仕事だと思う。

そして、飲み会も先輩教員からの評価される場である。
飲み会に行かなければ先輩教員からの評価は落ちる。
そうななると、自分に何かあった時、誰も助けてはくれない。

私は昭和生まれでも昭和育ちでもないが、
教員の職場環境を見ていると、まだ女性が進出してきたばかりの時代のような
何とも言えない”昭和感”が漂う。
私もそんな世代の人たちに教育されてきたのかと思うと複雑な心境である。
そしてそんな人たちと教育活動をしているのかと思うともっと複雑な心境だった。

どんな仕事であっても楽なことはないである。
好きなことを仕事にしたら、そのことが好きでなくなってしまう可能性だってある。

教育現場を離れて思うのは、教育委員会や学校の組織、ひいては国の考え方が変わらない限り、私のように教職を離れていく人やそもそも就職しない人が増えるだけだと思う。

子どもたちの成長を間近で見られるのは本当に嬉しいが、
大人同士の関係と両方に気を遣うのはなかなか大変なものである。


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