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読書私見:「嫌われる勇気」

〜基本情報〜
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』
岸見一郎と古賀史健の共著による、アルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」を解説した書籍。

〇本に対する最近の気づき

私は結構本を読むなかで、共感できる!とか、いやあ自分はこう思うな〜とかを色々書き留めて読む癖があるみたい。考えることは自由だから、自分の経験にリンクさせて勝手に「ああ、そうゆうことか」って納得して読んでいる気がする。
小学校の頃、読書感想文を書くのは苦じゃなかったのは多分昔から自分の世界に入るのが得意(?)だったのかなあ、

〇題名の「読書私見」の意味

このnoteの題名を何にするか悩んだ。「読書記録」だとただ読んだだけみたいな感じがしたり(言葉のニュアンスによるただの偏見)、「読書感想文」にしてしまうと、自分はそう思わないな〜って書きたい時に感想じゃなくて偉そうにご意見言ってる感じがしたりして、結局、

『個人の考えを述べる 熟語』
でネットで調べた時に出てきた『私見』がしっくりしたからそうすることにした。

あくまで自分の考えを述べる、っていうニュアンスの方が角がたたないよね。というわけで読書私見を書いてみる。


〇嫌われる勇気を読んで の読書私見

人の悩みは対人関係が全て
その通りだと思った。結局なんやかんや、小さい悩みも大きい悩みも人と繋がってるからこそ頭の中でぐるぐるしてしまうから。
けれども
「他者のことを気にせず、人と自分を区別すべき」ということは理解できない。ひとは他者に認められて生きていけると思うし、また私は、何か目標に向かって頑張る時に自分の為だけに頑張れる人はそういないと思ってて、そのひとにとって大切な「誰か」のために頑張ろうと思うことで倍以上の力が発揮されると思う。だから他者のためにこうしたいと思うことは、責任転嫁しているのではないと思う。

また、
縦の関係、横の関係はどっちかしか出来ない
というのも難しい。小学校1年生から習っている、ラボでは縦の繋がりが大きいように見えて実は横の繋がりに支えられている。
(この「ラボ」を説明するのがほんとに難しい。ラボを習っている人のことを全国共通で"ラボっ子"というのだが、ラボっ子にラボを一言で説明してと言ったら絶対誰も言えないと思う。そうなる自信がある。強いて言うなら
"3歳から大学4回生までが集う外国語・文化コミュニケーションテーマ活動団体"(?) )
いや、違うな…まあ話は逸れるから置いといて、

他にも所属している陸上競技部では基本は同じ種目をしている人の繋がり、、なので先輩後輩同期どれでも有り得るし、糸のようにその縦横が織りなすことで関係性が生まれると思う。

体育会系はまあ、上下関係厳しい方だと思うから縦の繋がりが重要じゃね?とも考えられるけど、
昨年秋から、幹部と言われる立ち位置になってやっぱり同期で力合わせていく必要性だったり、同期への感謝の気持ちとかかけがえのない存在やなあと思ったり色んな感情を持たせてくれるから横の繋がりだって人生において大事な存在だと思う。

こう思うままつらつら書いて、話にまとまりがなかったけれどこれは心にキュッと染みるなと思ったことばを留めておく。

大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである

自分の行動振り返ってみて、今目の前に並んでいるものをじっと見つめて満足している気がするなあと感じて情けなくなった。手に入れた、やったあ〜じゃなくて次どうするかを考える必要があるな、、心当たりがあるので見直していきたい。

なんか私見というより、もはやつぶやきになってしまった。文字化して自分ってこんな考え持ってるんや、って発見できることも多々あるから続けていきたいな。

もし、最後まで読んでくださった人がいたら。
本当にありがとうございます。

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