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コロナにつける薬 vol.4 【book-2『モモ』】

タイトルヘッダーに使わせてもらった写真は、昨年のこすぎナイトキャンパス読書会、ブクブク交換会の写真。毎年、年末には一人一冊文庫本を持ち寄って、それを互いに場に出し合って紹介した後、その中から各自が欲しい本を一冊持って帰るという、ワクワクするイベントだった。今年は…残念ながら実施できないだろうなあ。

さて、今日はコロナ禍の中で読んだ本の中で、この時期だからこそ読んで響いた、という作品を紹介する二日目。今日紹介するのは、これだ。

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『モモ』は言わずと知れた、ミヒャエル・エンデ(1929-1995)作の物語。私は小さいころ、『果てしない物語』を古典だと思って読んでいたのだが、その頃普通にエンデ氏は生きていたのだ、ということを知ったのはわりと最近になってからだった。

子供心には、竜が飛び異界の獣たちが跋扈する壮大なファンタジーに比べて、モモの世界観は小さく見えた。人の話を聞くことで、あらゆる人を幸せにする主人公モモのすごさに気が付けるほどにわたしの経験は豊かではなかった。

自粛期間中、私はこの物語を息子の空太郎(3年生)に、毎晩読み聞かせました。小学校3年生にもなって寝かしつけに本を読むの?と思うかもしれませんが、これもコロナのおかげというかなんというか。学校に行けなくなった自粛期間は、子どもと過ごす時間の管理がなかなか難しいと感じていました。そこで、毎晩20時から本を読むよ、というふうに決めてみると、そこに向かって全力で早めに寝る準備をすることができたのでした。大人になった今さら「モモ」を読もうなんて気にはならないところを、空太郎に読む、という大義名分?で、丁寧にこの本を読み進めることができたのです。

驚愕しました。なんて面白いんだ。こんなに面白い本を小さいころに意味も分からずに斜め読みしただけで通り過ぎてきてしまっていたことを、いまさらながら反省しました。『ジョジョの奇妙な冒険』第五部に出てくるカメの乗り物とか、なんか既視感があったと思っていたのは、これ。カメのカシオペイア。いや、面白すぎる。

これは、大人のための童話だったんですね。テーマは「時間」。時間がない、と言っている現代の大人たちに「豊かな時間」を取り戻すために、エンデが書いた渾身のファンタジー兼、実用書(と敢えて書いてみる)。コロナ禍で、使える時間が増えた人と、かえって忙しくなってしまった人、どちらにもこの物語は響く。

そして、子どもは子どもで、声に出して読んでもらうことでこの物語を存分に楽しみ、そのエッセンスをしっかり吸収してくれることになったようです。自分で読むとなると推奨としては5、6年生向けですが、親が読んであげるなら低学年からぜんぜんいけます。第三章の「暴風雨ごっこ」なんて超お気に入りで、しばらくずっと台風の化け物「シュム=シュム」の話をしていました。

モモの冒頭には、舞台となる円形劇場の描写があるのだが、これがまたしびれます。

(前略)ぜいたくな劇場では、観客の頭のうえに金糸を織り込んだ幕をはって、てるつける太陽をさえぎり、にわか雨がふっても安心なようにしてありました。そまつな劇場では、葦やわらでつくったござが同じ役目を果たしました。ようするに劇場は、だれもがじぶんの懐ぐあいにあったものをえらべばいいようになっていたのです。でも、みんなののぞみはたったひとつでした。なぜなら、みんな芝居がすきでたまらない人たちだったからです。
 そして、舞台のうえで演じられる悲痛なできごとや、こっけいな事件にききいっていると、ふしぎなことに、ただの芝居にすぎない舞台上の人生のほうが、じぶんたちの日常の生活よりも真実に近いのではないかと思えてくるのです。みんなは、このもうひとつの現実に耳をかたむけることを、こよなく愛していました。

すごくない?こどもの物語の冒頭に、お芝居への愛があふれている。調べてみたらミヒャエル・エンデはシュタイナー学校のあと、演劇学校に入学している筋金入りの演劇人だったのですね。



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