4:母という人間性と私の関係性
マガジン「人の形を手に入れるまで」の4話目です。まだ前書きを読んでいない方は、こちらからご覧ください。
父の紹介とくれば、次は母の紹介だろう。
私の母は、生真面目で冗談の通じないタイプの人間だった。家族に強い憧れがあって…というよりも、「理想の家族に囚われていた」と言うのが正しいと思う。その理由についてはまた後述したいと思う。
アウトドア派の父とは違い、母はインドア派だった。アウトドアで派手に遊びたい父と、家でゆっくり家族揃って過ごしたい母。ベクトルが合致するはずもない。
父は引きこもってばかりの母のことを「うつ病予備軍」と揶揄したし、母は自分や家族、家計のことを顧みず遊びに出る父のことを「自分勝手でわがまま」と非難した。
でも私はそんな母のことも好きだった。現実的な判断において、母の判断は優れていたからだ。
母に相談すれば、大体のことは解決策に繋がる。「適切に調べればきちんと見つかる」ことを教えてくれたのは母だ。
また父がいない日、家の中での遊び方を教えてくれたのも母だった。読書、お絵かき、工作、裁縫遊びはいつも母が付き合ってくれた。
ただ絵画の専門を修めていた母は、漫画やアニメなどを毛嫌いしていた。アニメを見ていれば嫌味を言われ、漫画を勝手に捨てられたこともあった。
中学生の頃、実は私はイラストレーターになりたかった。でも、アニメ的なイラストを書いていると「くだらない」と一蹴されてしまう。
いくら私にとって等しい熱量で描いた「作品」だろうと、母の好みの前では価値が違う。「絵画」だけ母に見せよう。喜ばせられる時だけ『できたよ』と言おう。
そうして、絵画では母の好きそうな絵を描いた。母の好きな色使いをした。そうして描かれた「母の贋作」は県大会で賞をとったりもした。周囲からは、画家の子だから当たり前と言われていた。事実、私もそう思っていた。
私は、私の書きたいものではなく『画家』が好むものを描いてるのだ。「画家はこういうものを見たいと思うはず」それをなぞっているのだ。ご意見番が側にいればそれはできて当たり前。私もそう思う。
私の特技は『理想をなぞること』。いつの間にか、そういう生き方が体に染みついていた。
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駆け出しライター「りくとん」です。諸事情で居住エリアでのPSW活動ができなくなってしまいましたが、オンラインPSWとして頑張りたいと思います。皆様のサポート、どうぞよろしくお願いします!