見出し画像

3:父という人間性と私との関係性

マガジン「人の形を手に入れるまで」の3話目です。まだ前書きを読んでいない方は、こちらからご覧ください。

私の父という人について触れたいと思う。

享年65歳。癌が全身に転移し、昨年の夏に亡くなった。商社マンとして海を越えて働き、葬儀には国内外から多くの部下が駆けつけてくれた。

父は仕事と遊びに忙しい人で、晩年も体調が良ければ友人とゴルフに出かけ、部下が遊びにくれば近くの観光地を案内していたという。

父は根は真面目だが、余裕という意味での「あそび」幅の広い人だった。そこに部下もついてきていたのだろうと思う。

私が幼い頃からバイクや山登りなど多趣味で、友人も多く、その友人たちとの外出頻度も高い。私はそのお出かけに連れて行ってもらうことが楽しみだったし、気楽な付き合いを楽しむ父の姿勢を好んでいた。

父は私がドッチボールが苦手だと言えば、その週末公園に連れ出して球技のコツを教えてくれた。私がバイクに乗りたいと言えば、モトクロス場で子供用バイクに乗せてくれた。小学校のクラス行事でサイクリングがあると言えば父兄引率を買って出てくれもした。

商社マンという仕事柄、忙しくなかなか会うことができないけれど、要所要所ではきちんと私に関わってくれる。私はなんだかんだ言ってそんな父のことが大好きだった。

しかし残念ながら、私が中学に上がる頃父は単身赴任となってしまう。ちょうど、また母から離婚の相談を受けていた頃だった。

合法的に別居ができるのだ、渡りに船だっただろう。私は母の元に残ることになった。

「せっかく友達もできたのに、転勤なんて貴女が可哀想だもの」

母がそう言って私の目を見つめたのを覚えている。単身赴任を選んだ理由は、また「私のため」にされていた。


この記事が参加している募集

駆け出しライター「りくとん」です。諸事情で居住エリアでのPSW活動ができなくなってしまいましたが、オンラインPSWとして頑張りたいと思います。皆様のサポート、どうぞよろしくお願いします!