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月記20240707


日記ではなく月記。
想ったことを文章へ落とし込んで書くトレーニングもかねた短文集。

主に神経のすり減りについて書いていく。






レアキャラ

ここ数年で、今まで積み上げてきた人とのつながりを薄弱なものにしてきた。
もちろんその人のことが嫌いになったとか疎ましく思っているとかそういうわけではない。むしろその人たちについて考えたり会いたくなったりしたこともしばしばあった。ただ、離れてからというもの自分は物理的な孤独に置かれ、大まかな人との繋がりの概念にがんじがらめになった。結果、心はたちまち疲弊、疑心と疎外感でかなりの時間を過ごすこととなり、そのうち中高の友達との接し方・行動思考も見失い、また友達たちに対して疎外感や劣等感まで感じるようになっていった。数年たてば人はすっかり変わるものだが、それとはまた違った認識のずれみたいなものは痛いほど実感せざる負えなかったし、それに伴う鬱屈な疎外感はさらに加速した。

 変こじらせて行く内に、誘いも断り、無駄で謎な心配もさせ、恐縮のほど痛み入ります。


その内俺は「レアキャラ」になったらしい。そう言われた。
お互いが距離が離れているのだからある程度自分で好き勝手に相手のことを形作ることになるが、自分の場合、めったに合わないことがその人自身の形(の一部)であるということ改めて言葉に起こしてもらう形になり、さらに疎外感に追い打ちをかけられた。


俺はキャラ、皆からこの世に自分がいた情報が消え始めている。これがもっと悪化すればその内俺はこの世から消えなくなるのだろうか?消えたくはない、けれども形状を維持できる気力が無い。

 こんな「レアキャラ」になってしまったことを申し訳なく思う。






話を合わせる ←最悪

人と話してて相手のノリに自分も多少同調して相手の肯定をしたりすること自体はあることだと思うが、たまに相手が差別的なこと(主に性差別や人種差別)で黒い笑いを取ろうとしてきたときってみんなどう反応してるんですか?


自分の場合
1.何も言えなくなる     ←最悪
2.多少笑ってごまかす    ←最悪
3.逆張りみたいなノリで返す ←最悪
といった感じ         ←最悪。

今の今まで気持ちよく(?)会話していたとしてもそれが出た途端にそればかりが頭を掛けめぐるり俺に責め立ててくる。喋ってる人のことを嫌いたくないけど”そういう人間”と頭の片隅で思い続けることになってしまうのでやめて(泣)←最悪


ー 自分の最悪周辺環境 ー ←最悪

最悪最悪最悪最悪最悪最悪
最悪最悪最悪最悪最悪最悪
最悪最悪最  ↑↑  悪最悪最悪
最悪最悪 ←ヲレ→最悪最悪
最悪最悪最  ↓↓  悪最悪最悪
最悪最悪最悪最悪最悪最悪
最悪最悪最悪最悪最悪最悪

ヲレ=最悪





オメェの最悪とぉ、ヲレの最悪… 『勝負』… せえへん?

最悪




グロテスク

グロテスクを見てしまった。 
人間のことです。






左右

ここ数か月間、左右という2ピースバンドにハマっている。

ミニマルでかなりシュールなポストパンク系サウンドに、飾り気のない単語の歌詞。それが日常で感じうる閉塞的空間を淡々と醸し出す、一風変わった感じのバンドである。

2ピースバンドなのもあり、音は少なく演奏自体もシンプルな構成だが、どこかテンポ感に中毒性があり、日常で体験したことのあるような不自由さや閉塞感、ちょっとした言葉の引っ掛かりなんかを淡々と唄っていく…。

そんなこんなで、次から次へと聞いてしいまいすっかりハマってしまったのだった。
ぜひ聞いてみてください。左右というバンドです。

おすすめな曲です。




レンガ生産ライン

自分にも正義感意識みたいなものが絶対的な権力を持つ時期があった。

かなりの時間を無頓着で過ごしてきたため、他者との接し方や、自分が他者に与えうる影響なんてものは全く考えようとしなかったが、ルールや期限みたいな権力を持つものが決めたことにだけには正義感が働いた。そんな、極端な正義感を持ち、それを他者に対する評価やストレスの指標の一つとしてひどく無責任に人を決定づけていた。だが、進学し、環境は変わり、孤立の前に立たされた時、極端な正義感は人間関係の拗れにより、一層過度なものへと変わっていった。

新天地、新たな価値観の学友たち、新たな校風…。このような環境の中で輪に入れず、完全に孤独な位置にへと見事鎮座してしまったわけだが、まともに会話したこともなく、顔の面と名前も覚えていない…そんな他者の人間性なんてほぼほぼ判りえない状況で、人の「個」を判断せざる負えなくなり、それが次第に他者への決めつけのフェーズに移行していくことになる。

わかりもしない性格や行動理由を、自分がいかに有用か証明するがごとく、相手を下げるようにに決めつけて、自分の位置を安心させようとした。そんなでたらめな評価基準もまた正義感が主なものだった。

そんな時期をしばらく過ごし、学年が上がった際、グループでの作品制作の授業が始まった。もちろん誰とも交流が無いため、始めのうちは、適当に誰でもできそうな仕事を割り振られたのだが、そのうちかなりデカくてしんどい仕事を周りが断り続けた結果、自分に白羽の矢が立つことになってしまった。結果としては、仕事はかなり上手くいったし技術面でも成長できたのだが、孤独による自身の無さは、今までじわじわすり減った神経をよりすりつぶす。だんだん疲弊してきて精神的にかなり安定し無くなてしまった。そんな中でも正義感はしっかり働いており、グループ内でのやる気のない面々にイライラして、作業中にもそのことが頭を駆け巡った。それがまた疲弊を生んだ。

精神の圧迫。上手くいかない人付き合い、疎外感、自身の無さ。
ここら辺から他者とかかわることそれ自体がかなりしんどくなり、脳へのダメージで色々なことがわからなくなった。精神的に追い詰められていたのもあり、この状況をどうにかこうにか打開できないかと救いを求めて模索をし始め、今までの無頓着さ、他者と自分の関係について考えてこなかったことを、ここでようやく頭で悟ることになる。

自分の今まで他者にしてきたことについて思い出す。そして自分の中にあるいびつな正義感が、自分に都合が良いように他者に振るわれてきたことを知った。それは、ずっと働かせていた自分のいびつな正義感や決めつけが、本当は他者の奴隷化で、上っていく階段を構成しているレンガの一つを作るための生産ラインだった。実におこがましく都合のいいことである。こんなもの正義もへったくれもない阿呆の卑しい戯言だったのだ。

自分の理想の正義は崩壊していき、少しずつ自分や他者についてのかかわり方について考えていこうと努力していけるようになっていった。だが、部品は頭の中にまだ散らばっており、今もなお、理想の正義感について話しかけてくる。今日まで心がけているている他者尊敬な観点でさえも、あの正義感の残骸によるものと言われれば否定しきれない部分はあって、あの残骸が今もなお影響を及ぼし続けているのとも言えるだろう。だが今はあの時と違いあの正義感について自覚できるようになった。そして、このことについてより考えたくてこれを書いた。自分はこんな正義感で誰かを下に見るのではなく、もっと広い視野で人と接していきたいからである。だけれども、ここであの正義を悪だと決定づけておしまいにしてしまっても、しっかりとそこに至った脳内の発生原理や他者への判断方法みたいなものを知っておかなければ、それこそ第二、第三のレンガ生産工場を作っていく、ということにつながってしまうかもしれない。だからこそ、このことはずっと考え続けなければいけないと思う。いつか、自分が自信をもって、一つずつでもレンガを作っていけるように。




note

Twitterより書きやすい、TLやおすすめが目に入らないので。




結局のところ…


いままでのこと、全部これであった。







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🌕


















🤩 < 月すきーーーーー❤️
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おわり


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