見出し画像

ストイック、やめました。

おはようございます。

「わたしストイックなんです」と自称する人は少ないのかもしれないが、今日のテーマではあえて言ってみる。自分は生来ストイックなタイプなんだと思う。

人に話せば気持ち悪がられそうだが、何をしていても「これはこの先何に繋がるのか」を考えてしまう癖があった。今見ているこのドラマは私の視野をどう広げてくれているのか、今食べているクッキーは今日のわたしの活動量に対して正当なのか、という具合に。

いつからなのかは分からない。子供の頃から異様な負けず嫌いで、テストで一問間違えたことで涙したり、マラソン大会の順位に人生がかかっているのではないかというぐらい精神をすり減らしたりしていた。今思い返せば微笑ましい限りだが、当時の自分にとっては深刻な問題で、努力が足りずに後悔することが本当に許せなかったんだと思う。

最近ではその考え方を改めた。そして、自分としてはとても生きやすくなった。ゴールや目的を設定し、それに向けて自制と努力を続けることはもちろん尊い。でも、長いスパンで考えれば、人生とみなされる大半の時間はその"過程"なのだ。"やるべきこと"と"やりたいこと"を絶えず頭の中で格闘させ、"べき"を選べない自分を嫌悪し、常に焦燥感と不安を抱える、そうやって過ごしていくのは良い人生だろうか?

食べたいときに食べたいものを食べる、心を癒したいときはひたすら好きなアイドルを見続ける。そのようにしていると太るどころか自然に痩せていったし、余暇の癒しを糧に仕事も頑張れるようになった。(これまでアイドルに全く無縁の人生だったが、最近になりその尊さに気づかされている)中でも学生時代から悩まされていた胃の不調がかなり改善されたのが、一番嬉しい変化だった。

過去の自分の頑張りも認めてあげたいが、こんな単純なことに気づくのに27年もかかったと思うと情けない。自分のストレスを上手く消化し、なるべくご機嫌でいること。そういう土壌があって初めて、他者にも優しくできるし、社会に貢献できる人間になれる。

大学生の頃、高校でお世話になった先生に「何かのためになると思って始めることは大体ダメ」と言われたことがあった。当時はそれほどピンと来ていなかったその言葉が、今は意味を持って感じられる。(もちろん成長目的で挑んで良かったことも沢山あるので、否定はしたくない。)

「もっと情報感度高くならなきゃ。色んなことに興味を持って、行動して、人脈を広げなきゃ」そんな事ばかりを思っていた頃は、SNSを開くのも吐きそうなぐらい苦しかった。

今は何故だかするすると情報が入ってくる気がする。好奇心を捻じ曲げず、心に吹く風に身を任せる方が自分には合っているのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?