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専任教師辞めました。


私は小さい頃から勉強ができませんでした。
小学校の授業中、消しカスでネリ消ししか作っていない私を、やばい!と思い、母が塾に通わせてくれ、中学お受験というのをしました。

大学まで一貫の学校に合格したものの、クラスでいつも最下位の私はエスカレーターから落ち、先生が見つけれくれたGラン大にぎりぎり入学するも、学生時代はサークルとお酒を飲むことに人生を捧げてました。

勉強してないというより、勉強の必要性と仕方が全く分かりませんでした。


ですが、人生で初めて積極的に勉強しようと思えた日本語教師は私にとって天職でしかありません。

毎日戦いばかりで、嫌なこともありましたが、思い返されるのは毎日の何気ない学生たちとの授業です。

充実した毎日の場を作ってくれた学校には感謝しています。
幸せな毎日をありがとうございました。


これ、私が送別会のときにお話した内容です。



そうです。私、
専任教師やめました。




前回のnoteで専任は需要があるとか言ってたくせに、自分自身がこのような形になり、、、とても申し訳ない気持ちでいっぱいです。すみません。

なんだか、そんなやるせない気持ちがありこの内容をまとめられませんでした。


ただ半年以上、考えた結果の答えでした。


どうして私が日本語教師、専任を辞めたいと思ったのか。そういったことを書いて、これから日本語学校に関わる方々に、こんな日本語学校もあるんだな程度の参考になれば嬉しいです。



どうして専任教師をやめたいと思ったのか。

大きく分けて下記二つの理由です。


(1)経営陣とすごぶる合わなかったから
(2)他人時間を生き過ぎていたから


(1)経営陣とすごぶる合わなかったから

私がこの学校に入社を決めた際の理由の一つに、アットホームで意見が言いやすい、いい意味でゆるい雰囲気が合っていたことがあります。

現場(教師陣)で、意見を出し合いそれをすぐ実行できてました。

経営陣に教育経験者がいなかったため、お金さえ損しなけりゃよろしくやっといて。って感じでした。
社長が偉そうにしてる感じもなく、決起会後に「社長〜カラオケ行っちゃいます〜?」くらいの距離感でした。

ただきっと経営陣の方々はそれが嫌だったのかもしれません。

一年前から経営企画室というのができ、元超大手会社で秘書をやってたという方が経営企画室長として新しく迎えられました。

もう、結果これが悲劇の始まりでした。

経営企画室の主な実績
・組織図改正
・会議の増加
・稟議書、企画書、提案書、大量の紙媒体導入
・謎の学校の模様替え
・退職者12名🧚‍♀️🧚


なんていうんですか。大手の方って縦社会大好きなんですか?
社長と簡単に話しかけるのが気に食わなかったようです。
まず一番はじめに組織図改正ってのがありました。

図でいうと
経営企画室(理事長、理事、企画室長、各秘書)

事務局(まぁ、事務の方々です)

教務主任

専任教師

ご覧の通り、なぜか先生達が一番下。
上でも書いてますが、稟議書、企画書、提案書ってのも導入されたんですが、なぜか先生達の意見が一番下。

教科書の選定や、クラスの調整、そういった現場ベースのこともなぜかこのフローを踏まなければならず、これをで提案して各部署の方々から判子をもらって承認されなければならないと。

すぐ承認してくれればいいですよ、スピード感あれば。的確な意見をもらえたりだとか。

なのに、経営企画の方には日本語教育経験者がいないものだから、教科書購入するにも、「JLPTとEJUの違いの説明書、提案書出せ」とか言いだしちゃう。

判子が少し曲がっていたら、印刷し直して出し直させる始末。
何かあるたびに「稟議書は出したのか。」


あの人たちは前世で紙を与えられなかった山羊の化け物だったのかと思うくらい、大量の紙を求められました。


しかも大量の紙がある上に、これを会議で提案しろとか言ってきちゃう。


こんな体系的なことばかりに指摘がいくもんだから、内容がよくなっていくわけなかったんです。教務主任ですら「この言い回しだと上の人は気に入らないかも。」とか言っちゃう始末。教科書買うのに、何週間かけるの!?って感じでした。内容がよくならないのに、時間ばかり取られる。紙作業と会議が教務の仕事だとでも思ってたんでしょうか。


少し愚痴っぽくなってしまいましたが、経営陣の根のところでは「先生達は母語を教えるだけなんだから、暇でしょ。」ってのがあったのだと思います。実際に「どうして先生達はいつも忙しそうなの。」ってことを言われました。


一番負担だったのはやはり稟議書、企画書、提案書、大量の紙媒体導入。
特に地獄だったのがイベントと、問題学生の管理。フォーマットはしょっちゅう増やすわ、何枚書かせるんだと。ディズニーランドへ校外学習行くだけでも、「どうしてその場所じゃなきゃいけないのか」という他の観光地との比較書みたいのも作りましたよ。その時間で教務は教材研究とかできたんじゃない?


経営陣からしたら適正校であることと、学費がたくさん入ってくるのが大事だというのを丸出しだったので、問題学生の紙媒体での管理も量がえぐい。問題学生が改善しないのは担任のせい。愛を持って接してない、怠慢だと。よく言ってましたよ。もう無視してやってればよかったんですけど、
やはりお金関係で納得できなくなってしまうと我慢もできなくなっちゃうんですよね。


一時期一気に先生が辞めて300名規模の学生に対し、専任が4人だったときがあったんです。(これ書いていいのか。)
先生達、そりゃ必死でしたよ。そんな中、経営陣がやったことは学校の模様替え。地面のタイル張り替え。見た目何も変わらない。
しまいには、模様替えにお金を使ったから特別手当は2,000円ね。と。


非常勤の方へのお給料算出も謎だったんです。
卒業式やイベントへ参加してくださる方へ時間給でお給料を出さない。実際にお手伝いをしてくださり時間を拘束しているのにイベント費という一律のお金。これを知り、直談判しにいったら。「授業準備などもなく、生産性がないから。」と。どうしてこんなに変わっちゃったのかなぁと、本当に悲しくなりました。


学生達のこと、先生方のとこはおざなり。現場ファーストとはかけ離れ。
詳しくは書けないのですが、経営企画室長がまさかの校長になり、ご自身がいた大手企業の業界に特化した日本語学校にしていくと言い始めた時点で去ろうと決めました。



(2)他人時間を生き過ぎていたから

ここまで読んでくださった方は優しい日本語教師の方だと思うのですが、教師って大変ですよね。

何がって授業準備って本当大変ですよね。時間や手間をかけたものが100%うけるとは限らないし、みんなが学習意欲があるとは限らないし。

私、初年度の担任がいいクラスすぎたんですよね。
多国籍クラスで、学生達は常に日本語で会話する。学生同士でもよく遊びに行く。とても仲の良いクラスだったんです。
まぁ、運が良かったんですね。こんなクラスを担当できたもんだから、授業の満足度すごいですよ。授業準備と授業の成果が直結してたんですよね。


また、これが意外と大きな要因なんですが、大量の稟議書や会議もなかったので、準備にかけられる時間や心の持ちようも違いました。


稟議書や会議が増えていくにつれ、授業準備もその場しのぎのような形で、もう自転車操業でした。全然自分の身になってない感じで、もうそれが一番嫌でした。


時は流れ、皆さんご存知の通り日本語学校の留学生の国籍分布は偏りました。そりゃあ、しょうがないんですけど、クラス内の会話が日本語だけってのは難しいですよね。下のクラスに行けば行くほど、中国語が飛び交う。これ中国学生を悪く言ってるわけではないです。自分が逆の環境にいたら、母語使ってしまうと思いますし。

また、上級クラスの学生は日本語学校にビザを取りに来てる感覚。勉強は塾でやりますから。クラスメイトと日本語話したいわけじゃないです。とりあえず問題解かせてください。目的はEJUの高得点ですから、と目的意識がはっきりしてる学生が増えた気がします。それでもなるべく会話をしてもらいたいので、ワークを考えるのですが、学生の需要に合ってない感じ。もちろんこれも学生が悪いわけではないです。

まぁ、楽しく授業できるクラスはいいんです。でも、やっつけの授業をやっている感は否めなく、学生に申し訳なく授業がストレスになる瞬間が増えたんですよね。


問題はモンスター学生たちですね。問題学生をなぜか担任させられることが多く、猛獣使いと言われていたパンダマンでしたが、さすがにぷっつんと何かが切れた瞬間がありました。

朝7時には出勤し、問題学生へのモーニングコール、進学指導。授業リハ。
問題学生への進学指導ってすごいですよ。書類面はもちろんのこと、出席率悪い子なんか理由書とか沢山書かなきゃいけないんですから。とある子は願書出しに行けないからとか言って一緒にタクシーで行きましたから。

これが一人ならいいですけど、何人いたんでしょうってくらいです。

一生懸命向き合っていれば学生も変わってくれると思っていましたが、そんなの一瞬です。平気で約束とか破りますから。

そこでまた登場するのが、経営陣です。愛が足りない!学生に向き合え!怠慢だ!と。

なんか、よく分からなくなったんですよね。自分の時間を沢山使って、学生のことを考えるのが生活の一部になっているのに、この時間てなんなんだろうと。アドラーのように、もっと課題の分離ができてれば良かったかな、と今では思えますけど。


朝早く行っていたのも、帰宅後も授業、学生のことに時間を使っていたのも、自分の経験になって武器になると思っていたからでしたが、



授業準備していても、自分の身になってない。
学生に時間を使っても、誰のためにもなってない



その時間があったら、もっと自分の時間に使いと思ったんですよね。
読書したり、語学学習したり、資格勉強したり、映画見たり、漫画見たり。

この日本語学校で使ってる時間では、自分が成長できないなと確信したんですよね。


退職の旨を経営陣を伝えにいったときも、「こちらがいいと言うまで、辞めることを口外するな」と。

????


自分で言うのもおこがましいですが、担当していた業務が非常に多かったので引き継ぎには時間が必要だったはずなのに、退職2日前くらいまで口止め。先生方だけでなく、もちろん学生にも。

まぁ、それも私が無視すればよかったんですが。退職率がすごかったのであれ以上心象悪くしたくなかったがための保険でしょう。



辞めた後の私

辞める理由の一つ、自分時間を使いたいからとあった通り、辞めた後はたくさん充実した時間が増えました。

このnoteに挑戦できたり、動画編集や、bilibiliへの投稿、語学学習。
読書も増えましたし、今までの教案をゆっくり見直す時間もできました。

何よりも常に自転車操業していたときの謎の脅迫感から解放されたリラックスした状態になれました。


実は1ヶ月ぐらい前に、やっぱり辞めない方が良かったかなと思った時もありました。
ただ、理由は一つだけです。

安定したお金がなくなって不安だったから。

「迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめとけ」という言葉のように、「躊躇する理由がお金なら辞めろ、時間なら辞めろ」って感じです。(は?????
まぁ、そのお金も新卒の学生より安かったりしますからね。

仲の良かった学生たちとは個別で連絡も取れていますし、飲みにも行けてます。
また、コロナのこの非常事態であの学校では戦えなかったと思います。


辞めて後悔していることはありません。

むしろどんな日本語教師像が、どんな日本語学校像が自分の理想なのかというのを改めて考え直せた大事なタイミングでした。


冒頭でも書いた通り、日本語教師は私の天職だと思ってます。というか、学校という環境が好きなんですよね。
コロナの影響で4月の非常勤デビューも果たせていませんし、今後この業界がどうなっていくのか分かりません。ですがどんな形でも、日本に興味を持ってくれた学生に楽しい留学生活を提供できたらなと思ってます。

まとまりのない文章をここまで読んでいただきありがとうございました。
これからもマイペースにパンダマンらしく色々書いていけたらと思います。

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