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DEEP記念大会。北岡悟敗戦と明日また生きるぞ。

2021年も自分自身が現役選手をやっていることに違和感はなく、毎日変わらずに練習して試合をしている。むしろ元気になっているのかとさえ思っている。

それと同じく北岡悟が現役選手で一緒に練習をしていることにも違和感はないどころか、今後も永遠に続いていくとさえ僕は思っている。少し考えたら続くわけがないのはわかるのに、何故なのか、不思議と続くように思えている。15年以上続いているのだから、このままずっと続くと思ってもおかしな話ではない。

彼は41歳になって、僕は38歳を迎えようとしていて、選手としてのピークはとっくに過ぎているし、伸び代も大してない。ただ右肩上がりが望めなくなったときからが格闘技者の腕の見せ所だと思っているし、限られた資産と技術でやりくりするのが格闘技の醍醐味だと思う。武藤敬司の言葉「ムーンサルトプレスを飛べなくなってからのプロレスが面白い」の通りだと思っている。武藤敬司が2月11日の日本武道館のコーナーポストに登ってムーンサルトを飛ぼうとしたように僕もまだまだ先があると思っているし、やろうとしている。できるかどうかは別にして挑むのは勝手だ。

北岡悟が2月21日にDEEPの100回記念大会試合をする。誰が見ても見るからに崖っぷちである。むしろもう落ちているのかもしれないし、本人も僕たちもそれを知っていて、見て見ないようにしているだけなのかもしれない。

彼とは週に3回は練習で一緒になるし、同世代の選手が退いていく中で意見交換ができる貴重な存在だし、僕に何かを言ってくれる大切な存在となっている。15年以上も前から一緒に練習をしているからこそ、最近の彼のコンディションも力量も理解はしていて、試合に向けて仕上げてはくるけど、それが健康とパフォーマンスと両立するかと言ったらこれまた別の話になっているのが現実で、実際に過去10戦で2勝7敗1分の厳しい戦績になっている。明らかにコンディションは落ちている。

思い返すと彼は10年以上も前から限界を感じてきたと思うし、その中で工夫と圧倒的な努力と全てを投げ打つ姿勢でなんとかやってきたのだと思う。ブルックスに負けたときだって、ラマザン戦だって、徳留戦だって、矢地戦だって、何度も終えるタイミングはあったけれども、その度に選択肢を捨てに捨てて、恥をかいてでも選手を続けてきたのだと思う。彼以上に格闘技以外の選択肢を捨てて選手活動を維持を維持している選手を知らない。

実際に辞めれるタイミングはあっただろうし、辞める選択もあるじゃないかと声をかけたこともあったけれど、彼は辞められずにファイターとしてしか生きられなかった。辞められるのであればどれほどいいか。だから辞められなかったというのが僕の認識で続けることは凄くも偉くもないと思っている。自分自身もその通りで格闘技以外のの生き方が難しいからやるしかないのである。

最近の北岡悟の試合は会場で見ることはしていなくて、映像でばかりになっていた。試合は仕事だから別に見ても見なくても変わらないというか、プロの彼に対して信頼を持っているからこそ、見なくても安心感があった。最後に彼の試合を見たのは矢地戦だと思う。これは客席で見て別に負ける相手じゃないんだろうって思ったのを思い出すし、また仕切り直してやればいいと思って見ていた。

今回もまた見に行く予定ではなかったんだけど、見に行かねば行けないような気がして、恐る恐るDEEPの佐伯繁さんにお願いの連絡をしてみたのだ。嫌がるかなと思ったら業界を表すような器量を発揮されて「了解致しました」とだけ返信がくる。おれたちはファミリーなのになんだかよそよそしい。50回記念大会は安いギャラで出たんだぞ。

今回の試合を見ておかなければと感じたのはRIZINで負けるのとDEEPで負けるのは意味合いが違ってくるからだ。RIZINであれば「メジャー」の言い訳とプロとして盛り上げてくれた点が評価されるので生き伸びやすい。実際に過去の試合で負けていても試合機会が回ってくるのは、立ち振る舞いと激闘なのも多分にあると思っている。少し評価基準が違うのが日本の今のメジャーだ。DEEPでの負けは誤魔化しが利かなくなってくるからこそ、ここは正念場だと思っていたのだ。

最近の北岡悟は一緒に練習をしていても、練習を見ていても追い込まれるシーンが多くなってきていたし、実際に強さを感じることが少なくなってきていたから、今回も厳しい試合になるだろうと思っていた。

一番気になったのはいいイメージを作るためにと階級下でパンクラスのランキング入り戦線で試合をする小森選手を練習相手にしていたことだ。いいイメージを持って試合に臨みたいのだろうからそれ自体は良いのだけれども、小森選手では今のライト級の国内上位とでは差があるから、試合前に不安が残る。それも彼はわかった上で、それでも試合に向けていいイメージを持ちたいのだろうと察した。

北岡悟は追い込まれている。もしかした彼のプロ格闘技として、分岐点になる試合になるかと僕の勘が働いて見に行くことにしたのだ。案外、僕以外の周りは楽観視しているというか、この試合の重要さに気がついていないような気がした。そりゃあそうだと思う。プロ格闘技をやっている選手は少ないからわかるわけがない。

今回の対戦相手だ。僕の認識では明らかな格下である大原樹里選手。

矢地選手との試合に勝利して名を挙げたとはいえ、26勝18敗3分1無効試合と戦績も綺麗とは言えないし、矢地選手に勝った以外はアピールポイントのない選手。僕から見ると「大原には負けないだろう」と思っていたし、ここは落とせない相手であるし、落としてはいけない相手だと思っていた。

この試合を聞いたときは僕の基準で考えるから「イージー」だと思ったのですが、練習をして、練習をする姿を見て、決してイージーではない試合だと考えを改めた。それでも彼には「イージー」だと伝えていたし、そのくらい前向きな方が僕はいいと思っていた。

イージーな試合ほど怖いのはファイターも周りも同じで、それは落としたら自分の価値が地の底まで落ちるからであって、一度落ちた価値を取り戻すことは並大抵ではないことを僕たちは良く知っている。それもキャリア終盤になった今、それを取り戻すのは難しいだろうし、受け容れて歩んで行くのもまた想像を絶する苦しさだと思う。そもそも心が折れてしまうのはあるだろう。今まではこれしかないと好きで乗り越えてこれたけど、もう次はわからないのがキャリア終盤だ。

それでもいくらイージーな相手だとは言え、今回は危ないのではないかと思った。そもそも誰とやっても危うさがあるというか、安定感がないというか、絶対がないのが現実。そのくらいに今は厳しいのが現状だ。

試合の週になって練習場で北岡悟と会うことがなくなる。なんだか試合を見に行くのが怖くなるというか、負ける姿を見たくないと感じるようになった。見に行かなければ彼の負ける姿を見なくていいわけで、自分の中では彼は負けてないことにできる。とにかく負けが見たくなかった。

けれど最期になるかもしれないのだとしたら、見に行かねばいけないような気がしたし、何人かに僕の気持ちを話すと見に行ったほうがいいと言われて、変わらず見に行くことにした。けれど直前までやめようかと思っていたのも事実だ。

18時前に会場入り。誰と行くわけでもなく一人で来た。
それは誰かと見ることで他人の味を入れたくないからであって、この試合は自分自身の感じる感覚を大事に見たいと思っていたのだ。試合をする彼には失礼だけれど、負けることを覚悟して会場にきたと言ってもいい。

試合は北岡さんがすぐに組みに行くと思っていた。打撃戦をするとは考え難いし、組んでケージに詰めて堅い試合をしたいのだろうと思っていた。大原選手としては打撃戦に持ち込みたいだろうし、下がりたくはなく、自らプレッシャーを掛けていく展開にしたいと僕は予想していた。打撃を得意とする大原選手の打撃が当たったら試合は厳しいものになるだろうし、劣勢をひっくり返す打たれ強さも武器も持ち合わせていないと思っていたので、それだけを心配しつつ想像はできるから、試合まで落ち着かなかった。

入場をしてきた彼は計量のときの写真とは比べ物にならないくらいに身体が膨れていた。これをリカバリーしていると捉えるのか、減量がきついと捉えるのかは難しい所ではあるのですが、僕はここまでリカバリーがあったら動けないのではないかと思ったし、自分ごとに置き換えてもここまでのリカバリーがあったら、スタミナのロスは激しいだろうし、キレが悪いように感じた。

試合開始と同時にクリンチに持ち込む。相手としては予想していただろし、この攻防を切れるかどうかで展開を大きく左右するので、互いにテイクダウンを巡る攻防に力が入る。北岡さんのケージレスリングはテクニック型ではなく、ガッツとパワーで押し切る形なので、若さと体力が十分なときは強さを発揮するけれども、体力で押しきれないときは苦戦を強いられる。ここが僕との違いで僕は技巧派で緩急で攻めるのですが、彼は一気にパワーで持ち込む。僕からするとパワーで押し込まないから苦戦をすることもあったんだけども、キャリアを重ねてからは技術に助けられている。

テイクダウンを仕掛けてケージサイドで尻餅まではいくのですが、そのあとが続かない。僕が得意な攻防だけに悔しさが残るというか、自分だったらと思う。その後に足関節の攻防に持ち込むもののアウトサイドのヒールフックが旧来の形で攻めてしまったので、相手のパンチを被弾することになる。うつ伏せになって膝を攻める形であれば、フィニッシュ出来たのにと悔いが残る。

その後の攻防は肘を効かされて、蹴られて、パンチを効かされてノックアウト負け。練習でもこの展開がよくあっただけに驚きがないというか、想定の範囲内ではあった。

試合後にセコンド陣に練習でもコンディションが良くないというか、ダメージの蓄積があるように感じたから、大事にしてあげてと声を掛けて彼の退場する姿を見届けた。苦しい結果ではあるのだけれども、何かほっとするというか、宿題があるような感覚で見届けたのが正直なところ。

こうなるのがわかっていたから見にきたんだと思う。
練習をしている中で僕にも感じるものがあったし、この結果が出るのはわかっていたと思うから、見にきたんだと思うし、見なくてはいけないんだと思ったのだと思う。見に来れてよかったし、見たからこそ、言える言葉もあるとは思うのよ。

ただ、彼のやり方とか、今後に何かいう気はなくて。それは彼が決めればいい話だし、彼も外野が言ったところで「俺の人生をお前が面倒みてくれんのか」となるだろうから、僕は何も言わない。危ないよとは伝えるけど、やれとかやめろは言わないというか、言えない。

選手をやろうが辞めようが生きなくてはいけない。
未来しかないというか、未来があるから生きなければいけない。未来があることはいいことばかりじゃないし、時に残酷な現実を突きつけるなって感じている。それでもファイターは生きていくのよ。明日また生きるぞ。

僕にも残酷な現実を突きつけられるときがくるのだと思う。人は必ず死ぬようにファイターも必ず負けるし、退く時がくる。もしかしたこの前の試合できていたかもしれないし、それはいつどうなるかわからない。むしろいつ死ぬかだってわからない。だから目の前にあることに懸命であろうと思う。

「今 ここ 自分 」先なんてどうなるかわからないから、目の前にあることを懸命に頑張っていこうと強く思った。

彼と付き合いの長い格闘技選手として、試合もした仲として言うけどさ。彼ほど格闘技に必死になって、自分の可能性を使い切って、人生の選択肢を捨ててまで、格闘技に賭けてきた人を知らない。恥も外聞もなく、選手として強くなるために勝つためにやってきた。あれだけ気高く生きる彼の痛みを想像してほしい。僕は彼を認めている。彼を超えられる選手はちょっとやそっとじゃ出てこないと思うよ。大丈夫。彼は必ず立ち上がってくる。どんな形であっても。心配はしてないさ。

日曜日の夜に湿っぽくなってしまったけれど。最後はこれでお別れにしようか。


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