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判定議論から見える他責と自責と理想と現実の話。理想も大事だけど現実を生きるのも大事。

ビビアーノ対リネカーの王座戦が消滅。ムエタイのジョナサンハガティーの試合を見ればいいかなと思っていたところ、Twitterで流れてきたMMA PLANETの感情を抑えきれなくなった見出しを目にして、笑ってはいけないとは思いつつ笑ってしまいました。だって面白いじゃないですか。ホラーなのはこっちではないでしょうか。現代アート。

格闘技を愛する余りに高島学さんの感情が溢れてしまうのは安定ではあるのですが、もう少し落ち着けよとも思うし、格闘技メディアとするのであれば他にも見出しがあったと思うのですよね。ここまで感情豊かに表現されると格闘技ブロガーと専門メディアの区別がつかなくなってしまいます。誰もがメディアを持つ時代とはいえ、専門メディアの立ち位置というか矜恃は大事にして頂きたいところではあります。これでは薪をくべるだけで問題提起や解決には至らないと思うのです。まあムカついたんだろうなっていうのもわかるし、試合を見てムカつけるほどに格闘技に情熱があるライターさんも絶滅種なので暖かく見守っています。

試合をされた山口芽衣さんまでもが「完全に勝ったと思いました。どこに相手の有効ポイントがあったのでしょうか‥。」とツイートされていて感情論に拍車を掛けておりました。でも山口芽衣さん自らが試合前に今回は喧嘩だ!と煽って、試合が終わったら有効ポイントだって言われましても、こちらとしては笑いを堪えるのに精一杯なのですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。なんだろうな。自責ではなく他責になると宗派の違いを感じます。自責教と他責教。

そこに山口芽衣さんのマネジメントを務めていらっしゃるハイブリッドファイターの山本真由美さんまで加勢されていて、話題にはならないのが寂しいところではありますが、賑やかしくて楽しそうだなと思い一部始終を見物しておりました。文句を言っても判定は覆らないのだから、言うだけ無駄で次に向かった方が早いと思うんですけどね。マネジメントが一緒になって騒いでもどうかと思うのですが、様々なお考えもあるかと思いますのでそれはそれで元気にやっていただきたいところです。

内藤のびた対ジョシュアパシオ、ハムソヒ対デニスザンボアンガ、和田竜光対ヨッカイカーフェアテックスなど議論が起こる判定はこれまでもありました。その度にONEの判定基準についての話になっております。これに関しては選手間でも判定基準の解釈が分かれることが多い話題です。以下4年前の記事ですが、4年前から同じことを言っていて流石に皆が観念しろというか、学んでほしいところではあります。ちなみに今回の試合は3-0の判定です。ハムソヒや和田さんはスプリットだったので実はそこまでおかしくもないとも言えたりもします。

そもそも判定が「決められないものを決める」ためのものではあるので、判定自体の性質上揉める可能性が高いのです。その上、北米ルールのようにラウンド毎の減点法でマスト判定を採用せずに3ラウンドを通じての採点です。そこにONEの評価基準ではニアフィニッシュとダメージの順、次にコントロール、テイクダウンとくるので主観が入り込む要素が大きいのが議論が巻き起こる要因の一つのように思います。多様な価値観が存在する中、誰もが納得するルールや判定は難しいのはわかりつつ、誰もが分かりやすいのは北米基準だとは僕は思いますが、北米ルールの抱えるポイントゲームとしての楽しみと格闘技として見ての釈然としなさも理解するのでどっちもどっちだとは思います。

このルールが何を求めてるのかを考えると判定勝ちをする方法も見えてくると思っていて、要はフィニッシュしろ!やっつけろ!がルールの求めていることです。僕で言えば上を取って抑えて殴って極めろ!に繋がります。

中学生のときのコーチが「勝負を人に預けるな」と僕に口煩く言っていました。それまでは判定がおかしいと不平不満を漏らすこともあったのですが、「決着できなかったお前が悪い」と言われて他責ではなく自己責任と捉えて自らを改善するように向かいました。不平不満を言っても何も変わらずだし、人を変えるよりも自分を変えた方が効率的だと早くに気がつけたことは財産だと僕は思っています。よって「極めないのが悪い」の域を超えることはないのですよね。今回も。

判定がどうこうみたいな話は選手間ですればいいし、解説の方々やマスコミの方々が思う存分やって頂けばいいのですが、格闘技の話ではなく生きていく上で他責よりも自己責任で生きていく方が生きやすい話として考えて行きたいのです。格闘技の話だけではなく、日常をどう生きていくかの話に広がり繋がるのに意味があると僕は思っています。格闘技を日常で起こることと同列に語って初めて社会と握り合えるのではないかと思うし、それが格闘技の価値とも思います。判定基準は格闘技選手にしか役立たないけど、他責せずに自己責任で決められたルールの中で生きていく話となれば役に立つ幅は一気に広がりますからね。

ここからはどう生きていくのかの生き方話をして行きますので、課金フィルターをかけさせてくださいな。解釈で誤解が生じる可能生もあるのでご理解のほどよろしくお願いします。

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