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那須川天心さんと武尊さんのSNS文学によるボヤ騒ぎと東スポの皇治青木対談

那須川天心さんがInstagramで詩を読む。アンサーソングとして武尊さんがTwitterで詩を読む。互いに求め合った同志の文脈高度な令和の格闘SNS文学。ドキドキします。平安時代かよ。

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今回のSNS文学については那須川さんの投稿に対する武尊さんの誤爆感を感じないわけでもないですが、それだけ水面下で物事が動いていたり、機運が高まっていたのもあるのではないかとお察しはできるので、解釈の違いは往々にして起こりますよね。恋愛だって何だって人が絡み合うと大変です。

那須川天心さん対武尊さんの試合は格闘技界はもちろんのこと、世の中を巻き込んだ試合になっています。試合実現について多くの選手関係者や著名人が語る注目の話題です。

例に漏れず一丁噛み大好きな青木真也と我らが皇治兄貴で東スポ誌面上で無邪気に対談をさせて頂いています。那須川さんと武尊さんが和歌を読み合うタイミングで記事公開されるなんて青木と皇治兄貴のひきの強さを感じずにはいられません。

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格闘技界を代表する2人のボヤ騒ぎが起こっていると聞いて、優雅に過ごしていた月曜の夜更けに格闘技言論の荒野Twitterまで見物に行ってきました。燃料も持たず、見物に抑えておいたのですが、皆様自分ごとでないにも関わらずアツくなっていて最高です。感情移入している割合が高ければ高いほどコンテンツとしての価値が高いと思うので両者の試合の価値の高さを感じます。

流派対決になった那須川天心武尊戦

この試合はいつの間にか流派対決になったのだなとTwitterの那須川天心さんへのコメントを見て感じました。K-1(武尊側)派と那須川天心(ここは残念ながらRISE派ではないと思う)派の構図になっていて、両者のファンがときには選手に、ときにはファン同士で意見をぶつける構図が出来上がっています。

実際に体験していないので分からない部分はあるのですが、新日本プロレス対UWFがそうだったのかもしれないし、ケンドーカシン対ハイアングレイシーの新日本プロレス対グレイシー柔術の構図も流派の対決で盛り上がったように思うので、那須川武尊も流派対決まで昇華したことで盛り上がりを見せる部分はあるのではないかと思っています。

K-1はK-1だけど、誤解を恐れずに言うのであれば、同じキックボクシングで同じ打撃競技の中で、異種格闘技戦が創れる両者は飛び抜けた芸事の腕を持ち合わせているのですよね。令和に流派対決を創れるのは奇跡に近いことで多角度から見て創らないと創作不可能ですからね。

那須川天心と武尊の不自由さ。

両者ともに日本格闘技の傑作です。そこに関しては異論はないでしょう。

彼らのようになりたいと志を持って格闘技界に飛び込む若者も多いと思います。この先の格闘技を考えたときには優れた才能が格闘技に入ってくることはプラスでしかないし、彼らの功績は偉大です。

僕は彼らを見ていて彼らのようになりたいとは思えないのです。
ネガティブな意味ではなく、彼らがやっていることの偉大さは重々承知ですし、僕は彼らのようにできなかった思いもしっかりと持っています。

彼らのいい面も十分わかるけれども、それでも僕は彼らの不自由さに目がいってしまうのです。武尊さんは今までに比べたら発言の自由さは出てきたように感じはしますが、それでもまだ不自由なことは多いと思います。那須川天心さんに至っては不自由で見ていて辛くなるほどです。思ったことを言えなかったり、自分の思い通りにできないことのほうが多いでしょう。互いに思い通りにできるのであれば両者の一戦もこんなに難航していませんよね。

青木真也は自由さを手放したくない。有名になれば稼げばいいってことないからね。

僕は那須川天心を見ても、武尊を見ても、皇治を見ても羨ましいって思わないんですよね。カネも知名度も彼らの方があるけれども羨ましいとはまったく思わないです。これを稼げないおじさんの僻みだって言われると辛いところではあるのですが、それでもごはんが食べられる程度にはなってはいますし、好きなことは好きなようにできています。

有名になれば。お金を稼げば。自分が必要とする以上いらないと思っています。有名になってお金を稼げば面倒なことが多いし、責任もついてきますよね。僕はそれよりも自由がほしいのです。好きなことを好きなようにやっていたいのです。

高価なものを身につけてかまさなきゃいけないのも辛いし、思ったことを言えないのも辛いし、好きなことを好きなようにできないのはもっと辛い。ヘドロのようなコメントに返せない那須川天心を見てそう思ったし、K-1の座長としての振る舞いをみせる武尊を見てそう思ったし、皇治を演じる田中宏治を見てそう感じました。みんなすごいよ。心からそう思うのさ。

互いの思想信念主義主張で試合を決めたらいい

両者の試合は互いの思想信念主義主張で決めたらいいと思います。
求めるものがそこにあるのであればやればいいし、誰かの期待や想いを汲んでやる必要はありません。互いの思想信念主義主張が重なり合うのであればやればいいです。これくらいは互いの好きにしてほしいなって思っています。

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