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RIZIN26観戦記 堀口さんの凄さに絶句して五味ちゃんにずっこけるの巻。

2020年最後の日。僕が年末に試合をしなくなってから5年が経ちます。
演者だったはずなのに、いつの間にか文章で日本の格闘技に参加しているのもいいものです。寂しさを抱えながら。今年は格闘技の仕事の関係で実家に帰省するのをずらして都内で観戦しています。

年末に試合がないのはさみしい気持ちもあるけれど、37歳の格闘技選手が好きな格闘技を生業にしつつ消費されることなく、自分の好きな格闘技と表現をできていることに十分な環境を整えているのは幸せなことであります。今の僕はまだまだ面倒なことに左右はされるけれど、昔よりはそりゃあ自由です。

2020年に限った話ではないのですが、年々消費のスピードが高まっていて、質の良いコンテンツをじっくり楽しむよりもYouTubeに代表されるような量産型のコンテンツが中心になっているように感じます。それは格闘技も例に漏れずで無観客試合、放送試合、制限のある有観客試合にその他イベントなどコンテンツ自体は大量にあるけれど、それが味わってもらえているかといえば疑問に思うのが正直なところだとは思います。

この流れはコロナ禍によって加速しました。今は薄利多売というか、大量にコンテンツを投入して、とりあえず見てもらうことに終始しています。その流れはどこの団体でもあって、実際に自分自身がONEで試合をするにあたってはこれでいいのかと思っていますが、創り手と団体側の考えが違うから仕方がないし、創り手との意見の相違はよくある話だから、創り手は創り手の立場を必死で守ってやっていくしかないとは思っています。

その流れは今回のRIZIN大晦日大会にも出ていて、メインカード以外は「とりあえず形にしました感」が顕著に出ているように感じます。メインにストーリーがあるだけでRIZINらしさだとは思うし、多くの団体はそのストーリーを創り出せずに「いい試合だからいいだろ!」のスタンスでやっているので、メインだけでRIZINの物語を担保しているとは思います。

YouTuberのシバター参戦も大晦日らしいと言えないこともないけれど、とりあえず消費されるコンテンツでもいいから注目を集めたいように思えるし、時代にあっているようで時代にあっていないように感じています。何故ならば格闘技は根強い層に刺さって、そこに食べさせてもらうような形が理想型だと考えているからです。

僕は5000人から1万人くらいに届くものでいいと思っているし、実際はもっともっと少数の「同志」に向かって創っています。月に1万円くれる人が100人いればメシは食っていけます。だからこそ目先の銭に負けて、「思想信念 主義主張」を譲ってはいけないのです。五味隆典を見て一番感じたのはそこではあって、消費して貯金を引き出していると感じたし、後に書きますが、コメントを読んでがっかりはした。2021年のどこかのタイミングで「いい芸」にお金を落とそうってタイミングがくると思うし、そのきっかけの意味での東京オリンピックになればと期待しています。オリンピック自体には何の興味もないのですが、潮目を変えるには大事なイベントだと思います。

試合前の見所はこちらです。

さて。今年の締めくくりです。。行ってみましょうか。

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