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人生にユーモアを意識して

幼児教室で働いていると、
他の習い事同様に、体験の予約が入る。


いいんです、いいんですよ。

誰にでも忙しい時はあるでしょうから。

申込が入っているから、
体験の準備をしますが
当日連絡なしで欠席される人の多いこと。

いいんですよ、
こちらも仕事中に変わりありませんから。

ただね、
その間にできたはずの仕事とか。

代わりに案内できたはずの
生徒たちとかがいるわけで。

こちらも人間ですからね。

当日の無断欠席をなんとも思わない
大人の背中をみて育つ子どもの方のことを
考えてしまいますよ。

以下、略



2日前に、
感情に身を任せて投稿した
この記事を見て、
ユーモアが足りない!と、思い直した。

幼い頃に作家になりたいと夢みた私は、
自分の文章がどれくらいの方に
楽しんでいただけるのか、
少なからず興味があって、
フォローバック目的のフォローをやめた。

それでも、
フォローして下さる方がいて、
本当に有り難く、
私もこっそり
定期的に読ませていただいている。


それなのに、
先日投稿した自分の文章は、
怒りに身を任せており、
これではただの文句ったれではないか!
と反省した。

人を呪いたい、とまでは思わずとも
怒りに近い感情を覚えたときの
ある一節を思い出したので、記したい。

『あいつまじしんでほしい!』と陰口を叩いて数時間後にその人が事故でお亡くなりになったら、いくら嫌いな人でも凄い罪悪感に苛まれると思うんだ。だから陰口は、『あいつまじラブホテルのエレベーターで両親と鉢合わせになってほしい!』みたいな命に別状のないレベルに抑えるべきだと思う。

DJあおい『じゃあ言うけど、それくらいの男の気持ちがわからないようでは一生幸せになれないってことよ。』幻冬舎文庫,2018,48項

まず、こいつら全員に呪いをかける。飲食店に入ったら必ず注文を忘れられる呪い。結婚式の日にものもらいができる呪い。カレーの日に炊飯器のスイッチを押し忘れる呪い。(中略)どこかに一抹のユーモアを残さなければならない。
 本気の呪いは我に返ったときつらい。それをぼくは経験で学んでいる。

凪良ゆう『滅びの前のシャングリラ』中央公論社,2020年,12項


最初の投稿の文末では、


さ。
出した準備は
落胆した気持ちと一緒に片付けて、
次のことにとりかかりましょうかね。


なーんて、かっこつけたけど、
今の私は違う。

電話でリスケをお願いしておきながら
体験当日に連絡なしでお越しにならず、
かけた電話の呼び出し音
2コールでぶつ切りする体験生!
なにか新しい習い事の
体験予約を取ろうとする度に
お腹をくだしてしまえ!

もしくは、体験当日に
お父さん顔負けの盛大なオナラを
かましてしまえ!




末筆ながら。
フォロー下さっている方、
この文章をお読みかは分かりませんが、
いつもフォローありがとうございます。






記事を見つけて下さり、最後まで読んでいただきありがとうございます。 少しでもなにか心に残るものを届けられていましたら、こんなにも嬉しいことはありません。