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「悪行」


  小学校五年で初めて同じクラスになったK君とH君に、僕は小学生が犯すであろう悪行のほぼ全てを教えてもらった。

  少し茶色い地毛をサラサラとなびかせたK君と、鼻筋の通った綺麗な顔をしていたH君。
  家が近所で元々仲が良く、見た目も華やかな二人の存在は、クラス替え直後のぎこちない教室の中で際立っていた。
  クラス替え二日目の昼休みには、朝からずっと仲良くしていた二人が教室の後ろで突然ガチガチの殴り合いを始め、クラスメイトをどん引きさせていた。
  その喧嘩は凄まじく、僕が今まで見てきた子供の喧嘩とはかけ離れた正真正銘の喧嘩だった。腹に膝を入れたり、髪の毛を掴んで頭突きを炸裂させる光景は、まるで映画か何かを観ているようだった。

  それだけ壮絶な殴り合いをしても、次の日には何事もなかったようにまた仲良しに戻っていて、前日の殴り合いを目撃していたクラスメイトがそんな二人の様子に唖然とする中、僕だけは「この二人と仲良くできるかも」と直感した。

  小学校三年からサッカー部のキャプテンをしていた僕は、監督がいない時に練習をサボる者を厳しく注意したし、試合中のミスではなく、その後ボールを全力で追いかけない者を容赦なく怒鳴りつけていた。
  だがそれは試合に勝つために必要なだけであって、注意した相手を嫌いな訳ではない。だから練習や試合が終われば僕はいつも通りに接するのだが、チームメイトは違っていた。相手にとって僕は怒鳴られ罵倒された相手であり、僕に対する恐怖や嫌悪を態度に滲ませていたのだ。
  この隔たりが埋まることなどきっとないと思っていたし、そんなチームメイトと全てを出し切れるほど熱くなることは無いだろうと諦めていた。
  でも顔中を傷だらけにして仲良くする二人を見て、何故か自分が望んでいるものがそこにあるような気がしたのだ。

  その後、体育のドッヂボールをきっかけに僕らは急激に距離を縮め、僕がサッカーをしている時以外はいつも三人で連むようになった。
  二人に最初に教えて貰ったのは、学校で食べる駄菓子の美味しさだ。もちろん学校にお菓子なんて持って来てはいけなかったが、二人はいつもガムやチョコを隠し持っていた。休み時間にトイレへ呼ばれ「誰にも言うなよ」と、H君が缶ペンケースを開けた瞬間に漂ってきたロッテの梅ガムの香りを、僕は未だに忘れられない。
  この世のものとは思えない程の甘美な香りが脳を刺激し、僕はくらくらとしてその場にへたり込みそうになった。
  学校で隠れて食べる梅ガムは、学校の外で食べる梅ガムと全く別次元の美味しさなのだ。

  二人は今まで僕の周りにいた人間とは違って駄菓子屋でよく万引きもしたし、体育で使う縄跳びを忘れて二年生の下駄箱から盗んだし、親の財布からいつもお札を抜いていたし、バレンタインに担任が女子生徒から貰ったチョコを放課後に全て食べてしまったし、自習の時間に教室を抜け出して廊下でサッカーをしたりしていた。
  きっと担任やクラスメイトからすれば大変な問題児だったかもしれないが、僕にとってはそれまで会った誰よりも信頼が出来て優しい二人だった。

  二人の万引きの腕前は凄かったけど、僕がいくらやり方を聞いても、「万引きをしたことがないならやらない方がいい」と頑なに教えてくれなかったし、盗んだ縄跳びを体育が終わればまた下駄箱に返しに行っていたし、H君の父親が風呂上がりに財布の一万円が消えてるのに気づいた時も、「どうせ酔っぱらって飲み屋で使ったんやろ言うて、母親が俺を助けてくれたんや」と本当に嬉しそうに話してくれたし、食べ尽くしたチョコの包み紙を学校中の廊下やトイレに投げ捨てていたもんだから、学校全体を揺るがす大問題に発展した時も、「来年からチョコ禁止になったらあかんから」と観念して自首していたし、廊下で騒いでるのを隣のクラスの先生に見つかり、後日僕らの担任に何故かK君だけが呼び出しを食らった時も、帰って来るなり「なんで俺だけやねん」とぶつぶつ文句を言いながらも「ちゃんとお前らの分まで怒られて来たったぞ!」と一切僕らの名前を出さなかったりした。

そしてどんなに三人で連んで馬鹿なことばっかりしていても、二人はあまり僕を巻き込まないようにと気を使ってくれていた。

  二学期の終わりに貰った通知票に「普段はやんちゃな面もあるけど、大きな問題がある時に関わってることのない優しい子です」と書かれていた。母親はそれを見て嬉しそうにしていたけれど、本当に優しいのはあの二人で僕はただ卑怯なだけなんだと教えてあげたかった。

  中学では一度も同じクラスにならず会う機会は減っていき、三年になる頃には学校でもほとんど見かけることがなくなった。
  最後に見たのはカラオケのパーティールームで行われた成人式の二次会で、H君は参加していなかったが、終盤に突然K君が一人で現れたのだ。連絡を取っている人もいないようでK君に喋りかける人は誰もいなかった。
  するとK君はおもむろにマイクを持ち、ラップ調の曲をカラオケで歌い始め、最後に叫ぶように「みんな友達!」と締めて会場を後にした。

  皆がクスクスと笑う中、「俺もずっと友達やと思ってるで」と、僕はまた心の中で卑怯に呟いていた。



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