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エッセイ「ハンカチ落とし」


 この世にハンカチ落としほど面白いゲームなどないと思っていた。

 ハンカチ落としのルールを一応説明すると、クラスみんなが円になって座り、鬼は円の外側を周りながらそっと誰かの後ろにハンカチ落とす。
 気付かれずに一周してハンカチを置いた相手にタッチ出来れば鬼は交代で、ハンカチを置いた相手に気付かれて、一周するまでに鬼がタッチされると鬼は変わらずに続行される。

 保育園に通う初期の頃は、ただ簡単にみんなで盛り上がる遊びとして夢中になっていたが、小学一年頃の中期に差し掛かると、他のクラスメイトがドッヂボールやキックベースなど競技性のある遊びに流れていくなか、僕はよりハンカチ落としにのめり込んでいく。

 ハンカチを置いた相手に気付かれずに一周してタッチするという行為に、快感を覚えたのだ。

 競技性があるといっても、小学生のするドッヂボールやキックベースなどは、ほぼその年齢の筋力や運動能力で勝敗が決まってしまう。
そこに駆け引きやスキルといったものは介在せず、僕はその年齢では運動能力の高い方であったが、そのことにどこか物足りなさを感じていた。

 しかしハンカチ落としにおいて、相手に気付かれず後ろにハンカチを落とすには確かなテクニックが必要だった。

 相手を欺くスキル。

 その時は気付かなかったが、これはサッカーで相手の意表を突いてスルーパスを出した際の快感に似ている。誰も予想していなかったタイミングとスペースにボールを出した瞬間に、思わず相手のベンチからも驚きの声が上がるあの昂揚感にそっくりなのである。

 相手を欺くスキルはどんなスポーツにおいても重要なファクターとなる。これが出来るか否かで戦況は大きく変わってしまうからだ。このスキルがあれば不利な状況を一変させることさえ可能となる。
 お子さんがどんなスポーツをするにしても、まずは幼少期にハンカチ落としをマスターすることをオススメしたい。

 そして小学3年頃のハンカチ落とし後期に突入すると、僕の中でハンカチ落としはその様相を大きく変化させ始める。

 好きな女の子の出現である。

 それまでは相手を欺き、まるで手品のように鮮やかに相手の後ろにハンカチを落とし、クラスメートから喝采を浴びることだけが僕の喜びだった。

 でも恋をすると、もうそんなことはどうでもよくなった。

 好きな女の子が鬼の時に自分の後ろにハンカチを落として欲しいと、ただ目を瞑って願うばかりになった。
僕の後ろにハンカチを置く、それは好きだよの合図なんじゃないかと勝手に思っていた。
 好きな女の子が鬼になると、僕は目を瞑り「オレの後ろにハンカチを落とせ」と心の中で願いながらその足音を聞いていた。
 足音が僕の後ろを通り過ぎたあと、背後に震える手を伸ばす。

「お願いします神様!」

 指先に布が触れる。僕は目を見開きその布を掴み取る。ハンカチだ!あの子が僕の後ろにハンカチを落としたのだ!

 もう僕は、その瞬間に多幸感に包まれてしまう。

 そのままガッツポーズをして寝転びたい気持ちを抑え、僕は立ち上がると猛スピードで好きな女の子を追いかける。ここも自分の足の速さをアピールするチャンスだから。
  あっという間に追いついた僕はその猛スピードとは裏腹に、優しく慈しむように女の子にタッチする。

「早すぎるわぁ〜」

 笑顔で振り返る女の子から、僕は目を逸らしてまた元の場所に座る。

 再びゲームが再開されると、僕はさっきより強く必死に懇願した。

「どうか、次に他の男の子の後ろにハンカチを落としませんように」

 もし次も男の子の後ろにハンカチを落としたのなら、それは僕にハンカチを落としこともただの偶然であったということになる。
 いや、もしかするといきなり好きな男の子の後ろにハンカチを落とす勇気がなく、カモフラージュの為に僕でワンクッション挟んだ可能性だってある。

 わっ!と大きな声が上がり僕が目を開けると、ハンカチを手にした女の子が、僕の好きな女の子を追いかけている。僕は安堵して、それだけで何もいらないと思えるぐらいまた幸せな気持ちになった。

 そして僕がいざ鬼になったら、僕はその子の後ろにハンカチを落とさない。好きだと言ってるようで、とてもじゃないけどそんなことは出来ない。

 三度目に鬼が回ってきた時に、僕はようやく好きな子の後ろにハンカチを落とす決心をする。
 もはや何のアピールにもならないが、それでも僕の胸は高鳴り、ハンカチを握る手は震えていた。
 それまで培ってきた、気付かれずにハンカチを落とすスキルなど全て忘れてしまって、カクカクとした動きで好きな子の後ろにハンカチを落とす。

 振り返るのが怖くて、僕はただ前だけを向いて走る。
 我慢が出来ず途中ちらっと振り返ると、僕の好きな子の隣に座っていた家がお寿司屋さんの女の子がハンカチを持って猛スピードで僕を追いかけて来ていた。

「お前ちゃうねん」と心の中で叫びながら、もしかしたら好きな子に勘違いされたんじゃないかと不安になる。必死に逃げ切り鬼が座っていた場所に僕が座ると、隣には好きな女の子の笑顔があった。

 そうか、これはこれで素晴らしい状況ではないか。こうしてずっと隣に座っていられるのだ。
 このまま静かに時間が流れてくれればいいと願っていたら、一周してきたお寿司屋さんの女の子が僕の後ろにそっとハンカチを落とした。

 恋とは、本当に歯がゆいものだと思った。


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