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地域におけるコンテンツ創造(まとめ)

このテーマいったんのまとめです(1回目2回目)。4月に新潟県で大学に勤めはじめてからまだ半年も経っていないのですが、地域の様々な取り組みに関わるようになっています。それを進めていくなかで、コンテンツのクリエイティブ・プロデュースの2つの面で、地方の優位性と陥りやすい罠のパターンが見えてきています。

まず、クリエイティブ面から。創造の源泉=シーズ(種)が地方には豊富に存在しています。既に言い尽くされていますが、都会にはない豊かな自然があり、情報過多な都市と異なり、創作に没頭できる時間と環境があり、多くの若者はそのことに自覚的ではありませんが、その恩恵を受けています。実際、私が所属する大学でも、絵を描いたり、小説や詩を書いたりする学生も多く、「見てほしい」と作品の持ち込みがあったりします。ダンスやジャズなど人前でのパフォーマンスにも熱心に取り組む学生もいます。

一方で(これはクリエイティブに躊躇なく取り組める利点でもあるのですが)、情報と人口が少ないということは、都市部に比べて競争の存在感が小さくなることを意味します。これは地方で創作系のイベントを通じて地域振興を図る取り組みで、よく聞く悩みでもあります。

大学でも絵や小説を持ち込んでくる学生に「Pixivにページ持ってる?」「小説家になろう、とかに投稿してる?」と尋ねると、「いや、まだです……」という答えが返ってくるのです。インターネット環境が整ったお陰で地理的なハードルは取り除かれたにも関わらず、競争=怖いもの、というイメージが特にそれに晒されてこなかった地方の若者にはまだまだ根強いと感じます。創作の技術向上には他者からの厳しいフィードバックが欠かせませんから、これはとても勿体ないことです。「まずはやってみようよ」とできる限り学生を発表の場に誘うように私も努めています。(このネットとクリエイターへのフィードバックの問題は、トリエンナーレの件にも通じる深遠な話題なので、詳しくはここでは述べません)

(8月25日に新潟市で開催された同人即売会「ガタケット」)

次にプロデュース面。クリエイティブがシーズをどう大きくしていけるかに重点があるのに対し、プロデュースではニーズ(顧客の欲求)にどのように応えられるかが大切になってきます。

この連載でも繰り返し言及してきているようにコンテンツのプロデュースに際しては、「外部の視点」が欠かせません。内輪受けでは交流人口の増加など夢物語となってしまうからです。

一方で、「都会と同じことをやろうとしない」ということも意外と忘れられていると感じています。外部の視点を持った人材がコンテンツの企画に加わると、内輪受けへのリスクは小さくなる一方、「それ本当にここ(地方)でできるの?」というくらい気がつくと構想が大きくなっていて驚かされることがあります。

残念ながら地方では都市部に比べると精神論がまだまだ幅をきかせています。しかし「みんなでがんばろう」「本気でやれば実現できる」という掛け声では、ヒト・モノ・カネといったリソースの物量で劣る地方が都会と同じことを実現することは出来ないのです。

コンテンツツーリズムの分野では、「不便さなどの『欠落』が逆に、都市から訪れる観光客にとっての魅力ともなる」ことがしばしば指摘されます。地方にいれば毎日向き合わされ、ウンザリさせられる不便さ(ハレとケでいうところのケ=日常)が、イベントなどのハレの場でその地を訪れた都市部からの「お客さん」にとっては大いに魅力に映る、というのは、地方のお祭りを交えたアニメの舞台探訪や、近年のキャンプブームなど様々なところに例を見つけることができるのです。

魅力的な欠落を見定め、敢えてそれを「やらない」というのは、プロデューサーの力量が試され、勇気が求められる決断となります。しかし、地方における企画の失敗は風評含め致命的になることもしばしばあります。無謀な戦いを挑まないためにも「都会と同じ事はやらない」という点は肝に銘じておきたいものだと思います。



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