オンライン時代の小説のゆくえ(2)
電撃文庫元編集長で現在は(株)ストレートエッジ代表の三木一馬さんが、LINEノベルの終了を振りかえる記事を公開されています。そちらに触発されて、「マンガは電子市場への対応(DX)が順調に進んでいる一方、小説などの文字モノはその勢いに乗れていない」という記事を前回書きました。LINEノベルはそこに危機感と商機を見いだしての強力タッグであったはずが、1年ほどで撤退に至っています。
小説はマンガと何が違うのか?
コンテンツのヒットにシェア(共有)が欠かせなくなっています。マンガと小説の違いは、ひとえにシェアされやすいか否か、であると言えるでしょう。
7月19日に少年ジャンプ+で公開され大きな話題となった『ルックバック』。配信から1日も経たないうちに300万PVを超え、著名漫画家やアーティストからもポジティブな言及が相次ぎました。
創作に打ち込む登場人物たちの心象風景、終盤の悲痛な出来事とその後の幻想的な描写についての解釈、タイトルを巡る伏線の回収の見事さなど、実に見所に飛んだ作品で、多くの人がTwitter・Facebookでシェアしました。その際、特に印象に残ったコマを画像として貼り付ける人も少なくなく、SNS上を感想≒感情が瞬く間に共有されていったのでした。
もちろん小説でも同様にその内容の一部をSNSで共有を行うことはできます。たとえば投稿小説サービス「魔法のiらんど」を参加に持つKADOKAWAグループは2013年にTwitter社と組んで、新人作家を発掘する取り組みを始めると発表を行ったこともあります。
しかし、現在もマンガほどには小説はSNS上で共有・拡散されていません。理由は様々考えられますが、大量の情報が流れていくTwitter・FacebookのようなSNSにおいて、マンガの1枚の絵から視覚的・直感的に得られる情報量に比べ、小説の一節はじっくりと解釈を行う必要がある割には情報量に乏しく(と書くと、小説愛好家に叱られそうですが)、共有・拡散といったエンゲージメントを生む力には劣るという面は否定できないと考えられます。
パブリックとプライベートのあいだで
では小説は全くSNS向きではないのか、と言えばそうではありません。小説投稿サイトの人気連載やその著者は1万人以上のファンを抱えていることも珍しくありません。
ただ、やはり人気マンガの規模感からは一回り小さく感じられます。また、マンガは毎週の連載や、アニメ化されていればその放送など、読者・視聴者がタイミングをあわせて言及し、SNS上のトレンドを形成する仕組みが整っていますが、小説についてはそのようなプラットフォームが誕生しない限りは、小さな波に留まるのはむしろ自然です。LINEノベルのようなチャレンジがあったのも、まさにこの部分が空白地帯であったからと言えるでしょう。
また、小説のもつプライベート性もSNS上でマンガのような拡がりを持ちにくい要因の1つです。かつて「教室」という言わばパブリックな空間で週刊少年ジャンプを回し読みしたように、「このマンガが面白い/すごい」という感情はSNS上で共有されやすいものです。一方で、「この小説を読んで欲しい」という感情、つまり小説こそが持ちうる「深さ」は、現実空間でもやや重たいものに感じられます。プライベート性が高く、SNS上でのつながりの中でも特に「この人であれば分かってくれるはず」という人に、そっと差し出す、といった性質のものです。
TwitterやFacebookに比べて、圧倒的にプライベート性の高いコミュニケーションツールであるLINEは一見小説と相性が良さそうにも見えますが、今度は逆に「面白かったから、皆にも読んで欲しい」という共有・拡散のアクションを取る際に、実名性が邪魔をします。先に挙げた「ルックバック」も、その鋭い表現ゆえに、修正を余儀なくされた経緯があります。優れた作品(芸術)は時に特定の人を傷つけたり、コミュニティに動揺をもたらすような表現を内包します。小説では許容されていた表現が、マンガ、テレビとメディアの枠組みが拡がり、受け手が増えると共に「丸められる」のはいわば人気作の宿命でもあります。多くの人が受け取っても問題ないように調整されているからこそ、安心して実名・顕名でも共有ができる、というわけです。
つまり、小説は受け取るときも極めてプライベート、拡げたいとなったときも、パブリックとは異なる枠組みでやりたい、という性質のコンテンツであるということです。わたしが向き合う学生たちも、多くがTwitterで複数アカウントを使い分け、好きな作品についてのやりとりはいわゆる「裏アカ」で行っています。SNSネイティブである彼らは、尖った作品が生み出す軋轢を極力さけて、同一の価値観を共有できる空間に絞って楽しむ術を身につけていると言えるでしょう。
そういった小説を取り巻くオンライン空間の姿を見ると、三木さんが振り返る要素に加え、LINEは必ずしも小説に適したプラットフォームではなかったと言う面もありそうです。そして三木さんの次なるチャレンジはWebtoon(縦読みマンガ)に向かっていますが、マンガを構成する要素を一旦解体して、よりオンライン空間に適した形に再構築するアプローチは、小説でもいろいろと試行される余地がまだまだあると考えています(続く)
※この記事は日経媒体で配信するニュースをキュレーションするCOMEMOキーオピニオンリーダー(KOL)契約のもと寄稿しており日経各誌の記事も紹介します。詳しくはこちらをご参照ください。