見出し画像

エイブラハムをかじっただけの男と弟子 その63 物欲と子育て

前回のあらすじ
こんにちは、マッキー(この話の作者)です。
前回、いろいろな物を欲しがる娘のハナに対して、エス太は欲しがることはいいことだと教えました。
そして、それらは父親や母親を通してしか得られないものではなく、幸せにしていれば、ハナ本人に与えられるんだと伝えました。
今回の話では、そう伝えたエス太の真意がわかると思います。
子育て中の方も、そうでない方も、参考にするしないは自由ですが、是非読んでみて欲しい回です。

※ちなみに、モナミはエス太の嫁です。

モナミ :何でも欲しがるのはいけないことだと思っていたけど。

エス太 :大抵は、そう教わるよな~。物欲はいけないことだって。でもな、物欲は立派な望みなんだ。

モナミ :でも、欲しがることはいいことだって教えて、何でも欲しがるようになったら、ダメな大人にならないかな?

エス太 :必ずしもそうじゃないよ。俺たちが何かを欲しがることは、この人生に、楽しみを与えてくれる大切な要素なんだ。なぜなら、俺たちは、何かを望み、それを叶えることのプロセスを楽しむために生まれてきたんだから。
生きている中で何かを体験し、生まれた望み。
あれが欲しいな~。
あんなふうになれたらいいな~。
そうやって、生まれた理想の自分と、今の自分の差をうめることこを楽しみにきているんだよ。

モナミ :でも、よく、偉いお坊さんなんかは、欲や煩悩(ぼんのう)をおさえるために苦しい修行をしてるじゃん?    

エス太 :そもそも「欲や煩悩を無くしたい」というのも、一つの望みであり、一つの欲の形だよな。「欲を無くしたいという欲」なわけだ。

モナミ :た、確かに。

エス太 :俺たちは生きる限り、何かを体験する。何かを体験するたびに無意識にも望みは生まれているんだ。
おなかがすけば、何か食べたいという望みが自然と生まれる。生きている限り、望むことをやめるのは、無理なんだよ。
俺たちはべつに望みや夢を諦めるために生まれてきてはいないんだよ。
俺たちが諦めるべきなのは、生まれた望みや夢に抵抗することなんだ。

モナミ :なるほど。じゃぁさ、なんでハナに、おもちゃを買ってあげなかったの?

エス太 :ハナにも話したけど、お父さんが望む物はお父さんの元に直接やってくる。ハナが望む物はハナの元に直接やってくるんだ。
でも、大抵の子供たちは、自分の欲しい物は、自分の親を通してやってくるものだと信じてしまう。
なぜなら、自分には無い経済力を親が持っていて、買う、買わないの決定権を親が持っているからだ。
親からしか、自分にはそれを手に入れる方法や力が無いと勘違いしてしまう。
でも、俺がハナに教えたいのは、そうじゃない。
ハナの欲しいものは、ハナが自分で手に入れる力があり、ハナにはそれを自由に受けとる価値があると伝えたい。
そのために、現状に駄々をこねず、幸せでいることで、親以外のところからでも、あらゆる手段で手に入れられると知ってもらいたいんだ。
実際に、そうやってハナが多くのものを手に入れてきたのを俺たちは知っているしな。
もちろん、俺が買ってあげることもあるよ。その場合の多くは、駄々をこねていない時、楽しそうにしている時が多いな。
そして、俺もハナもお互いが気分がいい時だ。

モナミ :ふ~ん。それじゃあさ、私の欲しいものは私に直接やってくるんだよね?私も欲しいものを手に入れられるのかな?

エス太 :欲しいものを手に入れることに、抵抗さえしなければ、それは手に入るよ。
「いつ私の元へやってくるの?」「どうやってやってくるの?」って駄々をこねて、抵抗しなければな。
ゆったり、リラックスして、気分よく過ごしていれば、いつの間にか手に入ってるもんだ。
過去を振り返るとそんなこともあったろ?

モナミ :確かに、考えてみると、そんなことばかりだわ。全部いつの間にか叶ってた。そう思ったら、なんだかワクワクしてきた~。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?