友達の結婚式でエスコート役をしたらアイマスのアニメで泣いた

大学時代の友達の結婚式に出た。わたしのいた学科には女子が少なく、必然的に仲良くなり、講義でほとんど一緒にいた友人だった。就職してからも、その友人を含めた仲の良かったグループで会ったりしている。といっても年に1回あるかないか。
高校の頃は演劇部で部長をやっていたそうだし、大学でも3つのサークルに入っていて、さらに地元のイベント運営や社会人サークルにも参加したりと、活発でコミュニケーションが得意な子という印象だった。それゆえ、わたし以外にも友達は多く、わたしは有象無象の一人だろうなと勝手に思っていた。
「新婦の大学時代のご友人、sakuma様」という司会者のはつらつとした声が聞こえたのは、目の前に置かれた鯛の香草焼きを食べようとしていたところだった。
披露宴でお色直しをするための中座、そのエスコート役にサプライズで選ばれたのだ。
まったくの寝耳に水、同窓会気分で当時の友人たちと楽しくお喋りをして帰るだけのつもりだったのに、まさかわたしにスポットライトが当たる瞬間が来ようとは。
乾杯のスピーチでガチガチに緊張して噛みまくった新郎新婦共通のご友人を微笑ましく見ていた少し前の自分はどこへやら、花嫁である友人の隣に立ち「ご感想を」と向けられたマイクには、「すごくきれいです」というひらがなしか発することができなかった。
友人の花嫁姿はとてもきれいだった。ウェディングドレスに憧れたこともなければ結婚するつもりもなく、万が一したとしても式は挙げないだろうと思っているし、そもそも結婚式というもの自体が家父長制とヘテロノーマティビティ(異性愛規範)に溢れていて馴染めないと感じるわたしだけれど、それでも幸せそうに純白のドレスをまとって微笑む友人の美しさは本物だった。
友人の手を取って歩き出す。プチパニック状態のため、ドレスで歩きづらいだろう彼女のことを慮る余裕もなかった。
もといたテーブルまで歩いてから、BGMにわたしの大好きなポルノグラフィティが流れていることにようやく気がついた。「幸せについて本気出して考えてみた」だった。「愛が呼ぶほうへ」とか「ジューンブライダー」とか「My wedding song」とか結婚式にふさわしい曲は他にもあるのに、とかそんなことはどうでもよかった。
ポルノグラフィティが流れる中、スポットライトを浴びて、たくさんのカメラとスマホを向けられ、きれいに着飾った花嫁と歩く。今が人生のピークかもしれないと思った。

しばらくは生きた心地がしなかった。鯛の香草焼きの味もよくわからない。じわじわと、得体の知れない感情がわたしを覆う。
ここにはこんなにたくさんの人がいるのに。たくさんの人に愛されて生きてきた彼女が、大切な日の大切な役割にわたしを選んだんだ。わたしのことを考えて、好きなアーティストの曲まで流してくれて。彼女の人生に、確実にわたしはあったんだ。
時間差でだんだんと理解していったその事実にわたしは固まっていた。うれしすぎて、なんかこう、自分がフレンチトーストになったみたいだった。牛乳と卵という幸せの液に浸かって、その上バターで焼かれるというオーバーキル。あとはメープルシロップでもバニラアイスでも好きにしてください。

わたしは花嫁という存在に憧れた記憶がない。結婚したいなと思った時期はあったが、それとは別に結婚式はしたくなかったし、ドレスも別に着たくない。
わたしのためにたくさんの人を集めるのも申し訳ないし、だいたいそんなに呼ぶ人いないし、似合わない格好して注目されるなんて罰ゲームとすら思う。
でも今回、花嫁の隣に立ち手を取って歩くという、いわば新郎側の体験をしたことは、まったく嫌じゃなかった。
わたしは今回パンツドレスに革靴というスタイルで出席していた。本当はカラースーツを買って柄シャツに蝶ネクタイというファッションをしたかったのだが、予算的に厳しかったので諦めた。それでもワンピースやヒールではない、自分らしいスタイルには満足していた。
自分が自分のままで、大切な人とこうした経験をするということに意味があるのだと腑に落ちた。
女だからってウェディングドレスに憧れないことに引け目を感じる必要などなかった。
もしわたしが将来、ウェディングドレスを着たいという人とパートナーになったとしたら、それは叶えてあげたいなとふと思った。友人の花嫁姿に、まだ見ぬパートナーの幻影を見たのだ。
それはわたしお得意の「考える」行為から導き出した結論ではなく、自然とわき上がった感情だった。

その後は大学時代の友人たちと同窓会状態になり、5時間ぶっ通しでボードゲームをしてから日付が変わるまで飲んだ。大学生に戻ったみたいで本当に楽しかった。
次の日は昼まで寝てからレンタルのパンツドレスを返送して、ようやく日常に戻った。録画したアニメをまだ眠い頭で見始める。
20分後、わたしは「アイドルマスターシンデレラガールズU149」の8話、佐々木千枝ちゃん回を見て号泣していた。
思えば前日は泣いていなかった。わたしは常々友達の結婚式でボロ泣きするのが夢だと言いふらしていたのだが、今回は全体的にカジュアルで明るい式だったので、涙へのお膳立てをあまり感じずにいた。
それなのに翌日に見たアニメで泣いた。
「U149」はとても良いアニメである。それだけで一つの記事ができるくらい語れるのでここでは省略するが、今のところ担当が登場していないわたしのようなプロデューサー(アイドルマスターシリーズのプレイヤーの呼称)でも、毎週泣きそうになるくらい感動する。
佐々木千枝ちゃんに特別な思い入れがあるわけでもなかった。シンデレラガールズの190人全員のことが好きなので、もちろん千枝ちゃんのことも好きだけれど。
自信がなかった千枝ちゃんが、ピンチの場面で覚悟を決める。小さなアイドルの大きな決意に涙を流しながら、わたしの脳裏には前日の結婚式の様子がよぎっていた。
わたしも自信がなかったのだ。
ジェンダーやフェミニズムを学んで、クエスチョニングと自認して、性別にとらわれないファッションをして、それですっかり堂々と生きている気になっていた。
それでもわたしはわたしのままでいいのか不安だったのだ。ヘテロではないと思いながら女性との恋愛経験がないことに負い目を感じ、セックスを楽しんだことがありながらアセクシュアルを自認することに罪悪感を覚えていた。
泣いている間はここまで鮮明に理解できたわけではなかったけど、何かが楽になった感覚は確かにあった。たぶんまたすぐ世の中の差別に怒って悲しくなって自信をなくすかもしれないけど、それでも一度はこの感覚を獲得したということが、未来の自分をエンパワメントするに違いない。

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