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🅂15 一度手にしたら離したくない!

「A little dough」 第1章 自分をどこまで信用する? 🅂15

▽平成の初め頃、ベイエリアにあったイトキンやオンワードなどのアパレル会社の社員家族販売会。私が家族でない訳ですから想像はできましたが、いってみるととても社員の家族といった規模感ではなく、大変な混雑でした。僕は土地勘があったので車で行きましたが、田町の駅辺りからマイクロバスでピストン輸送しているらしく、何時も長蛇の列だったのを覚えています。

▽やっとの思いで中に入ると、「さぁ、買ってくれ!」といわんばかりの大きなビニール袋を渡され、一旦最上階までエレベーターで。あとは商品を物色しながらめぼしいものを袋に入れて、階下へいきます。そして一階の精算所では、ウン十万円のカード決済をするひと達で溢れかえっていました。まだ、バブル景気が続いていた頃のお話です。

▽ところでバーゲンセールなどで「ちょっといいな」と思い、手に取りながら他を物色することはよくあることですが、「買う」という結論は出していなかったのに、結果的に買ってしまうことがあります。「なんとなく」とか「愛着が湧いちゃって」とか理由付けしてみますが、実際のところ「保有効果」という認知バイアスが頑張っていることもあるようです。

▽カーネマンによれば、若き日のリチャード・セイラ―(行動経済学者、2017年ノーベル経済学賞)は、大のワイン好きな教授のおかしな振る舞いを観察していました。この教授はコレクションしたワインを売るときは100ドル以上、そのくせオークションで買う時は35ドル以下なのです。(合理的な人間社会における)経済学的に言えば、教授のワインの価値判断が50ドルなら、それ以上の価格が提示されたら即売るはずだし、もし50ドルで売りに出ているなら買うはずである、どう考えても購入価格の上限35ドルと、売却価格の下限100ドルには理解しがたい隔たりがあると感じようです。こうした事例をセイラ―は数多く集め、「保有効果」と命名しました。

▽この「保有効果」に関して、カーネマンとセーラーそれにジャック・クネッチ(経済学者)の三人は、マグカップを使った実験を行っています。ちょっとややこしいのでゆっくり読んでください。
(1)参加者を三つのグループに分け、1つ目のグループにマグカップ(大学の紋章入りで価格は6ドル)を渡し、売り手になってもらう。彼らは自分のマグカップをいくらなら売るかを決める。取引が不成立の場合はカップを持ち帰り、成立すればお金を持ち帰る。
(2)2つ目のグループはマグカップの買い手となってもらい、売り手のマグカップをいくらなら買うかを決める。取引が成立した際のお金は自腹で支払う。
(3)更に3つ目のグループは選び手となり、マグカップとお金のどちらかが与えられるとした場合に、マグカップと同程度の満足を得る金額を決める。マグカップかお金ののどちらかを持ち帰ることができる。

(結果)
・売り手の金額の中央値 7.12ドル
・買い手の金額の中央値 2.87ドル
・選び手の金額の中央値 3.12ドル

▽この結果を見ると、売り値は買い値の倍以上になっていますので、セーラーが観察したワイン好きの教授のケースほどではないにせよ、あながちこの教授の行動がおかしいわけではないことがわかります。

▽また、売り手と選び手の金額差もほぼ同様の開きがあります。売り手は売れなければカップを持って帰ることができますが、選び手もカップないしは同等の金額を持って帰ることができます。つまり権利そのものは同等なのに結果は倍以上の金額の開きが出てしまう。売り手と選び手の違いは「今マグカップを手にしている」ということだけですから、売り手のつけた高い値段は「すでに持っているものを手放したくない」という気持ちの表れで、システム1による自動評価に組み込まれているもののようです。

▽さらにカーネマンは「売り手がマグカップにつけた値段は、売り手と買手がつけた値段の2倍をわずかに上回る。この比率は、リスクを伴う選択肢における損失回避倍率にきわめて近い」といっています。「 手にしたものは離したくない!」という保有効果の原因は、プロスペクト理論による損失回避のバイアスにあります。「やたらと手に取って持ち歩いてはいけない」というアドバイスは、さほど欲しくないものに余計なお金を支払わないように、覚えておいてよいかもしれません。

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