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地位財を地位財にしないために…

▽引き続き地位財の話です。所得・社会的地位・車・家・高級ブランド品などを地位財の例としてあげていますが、これらはどれも地位財になる可能性があるということにすぎません。所得にも絶対的な価値があり、これなしに私たちの生活は成り立ちません。これを地位財にしてしまうのは、アドラーのいう「不健全な優越性」にあります。

▽前回、地位財になりうるものの共通性に、比較のし易さを上げました。比較のし易さは、それらが金額・呼称・面積など何らかの同じ符号で格付けされている場合におこります。「不健全な優越性」は、これに飛びついて心の中で「勝ち負け」をつぶやいています。優越感を感じたくて飛びつくのですが、負けた場合は劣等感を味わう羽目になり、悪くするともっといいもの買おうという新たな決意が生まれてしまいます。

▽首尾よく新たな決意のもとに目標を達成できても、結局「不健全な優越性」を満足させる一瞬の快感をえられるだけで、持続的な幸福感には繋がりません。このように地位財に拘り続けてしまうと、お金も時間もいくらあっても足りないということになりかねません。ちょうどハムスターが回し車を回しているように、走れども走れども場所は変わらない。ヘドニック・トレッドミル(快楽のランニングマシーン)という状態にはまり込んでしまう、という訳です。

▽そこで、ではどうしたらよいのか。他人のことはさて置いて、自分としては所得も家も車も欲しいわけですが、ヘドニック・トレッドミルを走るようなことはしたくない。いろいろ考えた末に、平凡極まりない答えにぶつかり、何時もそれを実践しています。自分の中で「不健全な優越性」が動き出しそうなときは、「結果の裏側にある背景やプロセスに注目する」という手法です。

▽例えば、私はミニに乗ってドライブを楽しみますが、私のいくテニスコートには911カレラが止まっています。「不健全な優越性」は、これを見ただけで「負け」を自認してしまいます。私自身も欲しいなぁと思っています。しかし、こんな高価な車を買うためには、相当頑張って働いているのかもしれない、あるいはものすごいお金持ちの方かもしれない…みな想像なのですが、持っている方の背景や購入までのプロセスに勝手に思いを寄せていくと、結構おなか一杯になってきます。まぁ、私の場合はその程度ということかもしれませんが。

▽以前、「エール」にみるファスト&スロー、という記事で書きましたが、この場合は、911カレラが欲しいと飛びつくファスト(システム1)に対して、まぁまぁ冷静に考えてみようよ、とスロー(システム2)が冷水を浴びせている感じです。私のポルシェ願望はこの程度ですが、アルファロメオのジュリエッタがいい!と思ったときは、もっとリアリティがあったので、正直熱を冷ますのに一か月ほどかかりました^^;



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