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オンライン英会話と赤子の困難

オンライン英会話を始めて1ヶ月ぐらい経った。
いまだ流暢には喋れない。でも実践が始まってまだ1ヶ月と考えれば、生後1ヶ月の赤ん坊にしては喋れている方だと思う。多分。

オンライン英会話を始めてよかったこととして、実際にその場で言葉が出てこなくて「困る」経験ができることが挙げられる。

日本の学校(中学・高校)の英語教育の現場では、基本的に講師は日本語を喋ることができる。
なので最終的に、伝えたいことは日本語で言えば理解してもらえる。
生徒は全員日本人(であることが多い)なので、なんなら英語を喋る側がアウェイである。
やる気のない生徒達が漫然とカタカナ英語を繰り返す授業風景が今日も日本のあらゆる学校で散見されることだろう。

そこに圧倒的に足りていないもの、それは危機感である。
オンライン英会話においては、フィリピン人講師は英語話者であり、日本語を喋ることができない。
私は焦り、これまで全く使ってこなかった英語を話すための脳の容量を漁りまくって言葉を探す。
「あれ、何て言うんでしたっけ?」の、「あれ、何て言うんでしたっけ?」すらも英語で言えない事実に気づく。

言語の根源的な必要性を実感する。
私たちはもともと、テストで100点を取るために言語を覚えるわけではない。
赤子が、母親に「お尻が濡れて冷たいんです」と言葉に表せなくて、泣き叫ぶ時の不快感。屈辱感。そういった困難で切実な現実こそが、私たちに言語の必要性を突きつけてくる。

言語は恐らく、赤シートで括弧内の語句を隠しながら見る時に完全に覚えられるものではない。
私が不慣れな言葉を紡ぐ時に、相手が「理解できない」という態度をあらわにする、そのピクピクする眉毛こそ、私に言語を覚えさせる。

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