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いやいやがくえん #3 子どもたちの百の言葉

不登校の娘とのホームスクーリングの記録。
できれば毎日漢字と計算、あと何か自分が学びたいことをひとつ以上、が目標。ここでは主に、「自分が学びたいこと」について取り組んだことを記録していきたいと思う。

昨日やったこと。

・おやつ作り

スイートポテト作り。
蒸す、つぶす、混ぜる、容器に入れる、焼く。
娘は主に「つぶす」「容器に入れる」を担当。だいぶ力はついてきたけど、マッシャーで全部の量をつぶすのはしんどかったみたいで、途中でリタイア。容器に入れるのは丁寧にやっていた。
本当は卵黄を塗って焼くと光沢と色がついて美味しそうな感じになるんだけど、娘はその味があんまり好きじゃなくてわざわざ剥がして食べたりするので、昨日は塗らず。

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金曜日は適応相談センターに仲良しのお友達が集まる日で、楽しかった、という話をしてくれた。センターではみんなでパズルをやったりゲームをやったり、色鬼をやったりしたそうだ。目一杯遊んだのでちょっと疲れちゃって、LINEスタンプも作りたいと言っていたけどできなかった。まあそんな日もある。

子供にとっては、「遊ぶ」時間は「土地を広げていく」こと、「学ぶ」時間は「建物を建てていく」こと、というのを聞いたことがある。中2の長男は小さい頃から本当によく遊んで目一杯土地を広げていて、今では地平線が見えそうなくらいに広がっていると思う(笑)。そのまま広大な土地にしておくのか、立派な建物を建てるのか、小さな小屋を建てるのかは本人次第。


息子と娘、2人育てているけど、たった2人だけでも本当に子供はそれぞれだな、と思う。結局、親ができることなんて「盛大に見守って、全力で信頼する」ことくらいなのかな、と思う。あと、転んだり失敗したら、大丈夫だよ、と、ぎゅーっとしてあげること。だから、安心して失敗しておいで、と。

長男は今の娘くらいの時に、野球をやっているお友達と仲良くなり、お友達に誘われて野球を始めた。私自身は野球なんてあまり興味もないしルールだってよく知らなかったけど、息子がやりたいというので、暑い夏の日も寒い冬の日も、一生懸命応援に行ったり送迎したりしていた。

試合中に無駄に大声を出したりしても怒られるどころか褒められるし、休みの日の学校のグラウンドを公然と占領して盛大にボール遊びができるなんて、息子にはぴったりのスポーツだ。とにかく体を動かしていないと落ちつかないので、小さい頃は家の中でも動き回っていろんなものを壊したり自分自身も怪我したり、ということが絶えなかったけど、野球を覚えたおかげで、動きたかったら素振りしたりボールを壁あてしたりすれば良くなったので、いろんな被害も少なくなった(家の中でうっかりお友達が投げたビー玉をバットで打ってしまい、ガラスを割ったりしたことはあるけど)。

何より、野球仲間たちに会えたのは本当にラッキーで、毎日本当に楽しそうだ。息子は学校の成績は勉強も運動もまあまあというところだけど、「なんか知らんけどいつも楽しそう」な部門では天才的だ。こないだも特に何かあったわけでもないのに、ふと「あー たぶん俺学校の中で一番幸せかもしれないなあ」と呟いたりしていた。そんなこと言える人はたぶん学校の中どころか世界で一番幸せだろうよ。おかげで私も娘も毎日結構楽しいけど。

というわけで、レッジョ・エミリア・アプローチの創始者である
ローリス・マラグッツィの詩を引用。

子ども達の100の言葉

子どもには百とおりある。

子どもには百のことば 
百の手 
百の考え 
百の考え方 
遊び方や話し方

いつでも百の 
聞き方 
驚き方 
愛し方 
歌ったり 
理解するのに 
百の喜び

発見するのに 
百の世界 
発明するのに 
百の世界 
夢見るのに 
百の世界がある。

子どもには 
百のことばがある
(それからもっともっともっと)
けれど九十九は奪われる。

学校や文化が 
頭とからだをバラバラにする。

そして子どもにいう 
手を使わずに考えなさい 
頭を使わずにやりなさい
話さずに聞きなさい 
ふざけずに理解しなさい

愛したり驚いたりは 
復活祭とクリスマスだけ。

そして子どもにいう 
目の前にある世界を発見しなさい

そして百のうち 
九十九を奪ってしまう。

そして子どもにいう 
遊びと仕事 
現実と空想 
科学と想像 
空と大地 
道理と夢は
一緒にはならないものだと。

つまり 
百なんかないという。 

子どもはいう 
でも、百はある。

ローリス・マラグッツィ
(田辺敬子訳)


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