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「絶望的なまでの分かりあえなさ」について(2)

大きな室内プールだったの。私たち20人くらいいたわ。みんな女。みんな裸で、プールの周りを行進させられていたの。天井の下に籠が吊り下がっていて、その中に男が一人立っているの。縁の広い帽子をかぶっていて、顔はよく見えなかったけど、私は知っていたわ、あなただっていうことを。あなたがみんなに命令していたの。あなたがどなっていたわ。私たちは行進しながら歌うの、そして、兎跳びをするの。兎跳びがうまくできないと、あなたったら、ピストルで撃って、女が一人死んでプールに落ちたわ。そうするとみんなは笑い出して、より大きな声で歌うの。そして、あなたは私たちからずっと目を離さないでいて、また誰かが何かをやりそこなうと、その人を撃つの。プールには死体がいっぱいになり、水面のすぐ下まで盛り上がっていたわ。私にはわかっていたの、もう次の兎跳びをする力がないのが、そして、あなたが私を撃つのが!
ーミラン・クンデラ著「存在の耐えられない軽さ」より

ニーチェの「永劫回帰」(来世などないから今ある生の一瞬一瞬を充実させることが大切である、ということ)をテーマに、音楽的手法を用いて描かれたとされるこの小説のテキストの一部分を、いつか何かの作品で使いたいと思っているのですが、今のところなかなかその機会がないので、ここに載せちゃいます。このテキストは、「Invasion」のグループでもシェアしてみたもの。

哲学なんてわかったらおしまいだと思うし、閻魔様に怒られそうな思想だし、品行方正、清く正しく美しく生きている人にとっては到底受け入れがたい内容の小説ですが、なぜか私にはとても共感できる部分がたくさんあるので、さらに引用してみます。

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2020.07.24/26に開催されたオンライン・ストリーミング・パフォーマンス"invasion"のために書いた記事です。

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