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脱穀機に手を突っ込んだら指が取れかけた話

10月下旬の、とある晴れた日のこと。
当時、私はまだ小学校低学年だった。
私達家族は、稲刈りのお手伝いをしに、山奥の祖父母宅を訪れていた。

小さいながらも、軍手をして稲刈りのお手伝いをする私。近くには脱穀機があった。
よく見てみると、ベルトのようなものが回ってぐわんぐわん動いていた。

幼い私はそれが気になって、稼働中の脱穀機に近づいて行った。そのことに両親達は全く気付いていない。

ベルトがぐるぐる回っているのが、とてもとても気になって、柔らかそうだな〜。と、幼い私はそれに興味を持った。

そして、触って確かめて見よう!
そう思ってしまった。

親に気付かれることなく、私はそのままベルトに躊躇なく左手を突っ込んだ。
一瞬にして持っていかれる自分の左手。

幼い私はもの凄いびっくりして、咄嗟に手を引っ込めた。
小さいながらも火事場の馬鹿力というものか、ご先祖様が助けてくれたのか、脱穀機からすぐに手を引き抜くことに成功した。

しかし、途端にやってきた左手の痛み。私は泣きじゃくった。

それに両親が気付き、私に近寄ってくる。そして、私の左手の軍手の異変に気が付いた。
そう、真っ赤な血の色に染まっていたのだ。

両親はさぞ修羅場だったことだろう。何が起きたか全くわからなかったと思う。
私の軍手を取ると、人差し指の先が取れかけていた。骨が丸見えだ。

血塗れになった私の左手を圧迫止血しながら、私は親の車に乗せられ、近くの診療所に行った。
山奥の田舎町だったため、救急車もすぐに呼べず、病院も近くになかった。

私の指を押さえていた親は、どんな気持ちだっただろう。指が取れかけていたが、私は途中で痛みをあまり感じなくなり泣き止んだりしていた。

今思えば、むしろ脱穀機に触ってよく指先だけで済んだと思う。それと、なぜか利き手ではない方で触ったのも不思議な話だ。

診療所に着いてから、急いで縫合手術が行われた。局所麻酔をしていたか知らないが、痛くてめちゃくちゃ泣いた。もの凄い暴れていたため、何人かの大人に腕を抑え付けられた。
その後、何とか無事に縫合は終わったが、みんな満身創痍だった。

私が怪我をして以降、祖父母宅の稲刈りのお手伝いをしに行くことはなくなった。ほんと申し訳ない。

私の指は、自宅に戻ってからは近くの病院に通って治療を続けた。
これまた抜糸や消毒が痛いのなんの。通院が憂鬱で仕方なかった。

しばらくして、指はくっ付いたものの、変形したままで、爪がまともに生えてくれなかった。
20年近く経ってもそれは変わらない。
私の爪は二重構造になっており、とても奇妙な形をしている。
形成外科でも治せない言われショックを受けたが、自分への戒めとして、この先もずっとこの指と生きていこうと思う。

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