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これまで後編:社長になってから

社長就任

2021年5月31日に開催された定時株主総会で無事に社長に就任いたしました。当然ですが、社長に就任したという実感もなく、社長としての責任感という点においても全く実感できていませんでした。軽い言い方になってしまいますが、就任時には社長としてやるべきこと、このクラブの社長の責任の重さ、みたいなことを理解できていなかったので、地に足が着いていないといいますか、なんとなく名刺の肩書が変わったくらいにしか受け止められていませんでした。

社長就任直後は、挨拶まわりなどで忙殺されていました。挨拶まわりというと、新任社長の初仕事っぽい印象ですが、実際には入社から5ヶ月しか経過していないので私が、この会社のことなどわかっているはずもなく、お会いする方の前では、「ご安心ください。わかっていますので。」風な笑顔だけで、なんとか1日を終われせているという毎日が続きました。

しかしながら、世の中には私以外にも突然社長に就任した人は沢山いますし、当社よりもっと事業規模も社員数も多い、舵取りの難しい会社の代表に急に就任した方も沢山います。例えば、比べるのも失礼ですし、おこがましいのですが、JAL再生で社長に就任した稲盛和夫さんの方が、もっと大変だったと思います。当社とは比べ物にならない規模の中でも、稲盛さんは、早期に結果を出しておられました。(私なんかと比べるな!ですが。)その観点からすれば、私の置かれている状況は大変でもなんでもなく、私なりに足元からきっちり対応していけば、大丈夫だ!という変な気合の入れ方と根拠の薄い安心感というか、過信もしていました。
「過ぎたるは及ばざるが如し」ですから、その時の私のような過信はダメですが、どんな状況でも根拠のない自信だけで、わからなくても、困難でも、前向きに進んでいけるのは私の長所でもあり、このときもその長所は役にたったとは思っています。

初体験の連続!

挨拶まわりと当時に、選手との契約という大仕事も待っていました。選手との契約は次のシーズンの勝敗に大きく影響する重要な大仕事ですが、誰と契約するのか?誰と契約しないのか?そんな選択をバスケットボールを全く知らない私に出来るはずもありません。もちろん社内のスタッフにも助けてもらいながら、今から思い出せば周囲のアドバイスに従うかたちで、言われるがまま(?)に行動していました。
選手との契約には大きなお金が動きます。会社内の事業計画に記載されている“チーム予算”というものもありますが、その内訳や構成要素なども把握しきれていない当時の私は、予算コントロールなども出来ない中で、文字とおり『なんとなく』チームスタッフや選手との契約交渉を進めていました。その時の状況を例えるならば、仮免許で(助手席には人を乗せていますが)公道を猛スピードで運転している・・・そんな感覚でした。

周囲のスタッフは経験者なので、私が素人でもコトは無事に進んでいくのですが、会社としての方針のようなものを私から発信できないまま、物事が進んでいったような気がします。今から思い返しても、社長就任直後の私が、あの時何か出来たかといえば、結局のところあの当時の私に出来ることは何もなかったということなのですが、それでも、当時のことは今でも私の中で大きな反省点として残っています。
もっと急速に勉強出来る方法がなかったか?・・・単に知らないからというだけで、知った風で流れに身を任せているのではなく、積極的に知識を吸収する方法を探しに行くくらいは出来なかったのかな・・・と、今でも私の反省点として残っています。

選手契約の他に苦労したのは、スポンサー営業でした。広告営業の経験はあったので、そこは問題ではなかったのですが、新潟県内の企業様の情報や、県内の経済環境、市場動向について知識が無さすぎて、お会いする企業様に合わせたご提案(お話)ができない・・・という問題がありました。
本来であれば、昨年よりも少しでもご協賛金額を増やしてもらえるように、+α(プラスアルファ)な提案ができれば良かったのですが、日々の訪問に追われていく中で、そして『はじめまして』という訪問の中で、話も上手くできず、なんとか契約金額も現状維持がやっと・・・という状況で増額してもらうことは出来ませんでした。この点でも何も会社の役にたてずに時間が過ぎていくという状況でした。

そして更に、慣れていないことの未熟さは、社長であるにも関わらず、会社の成長戦略が描けないままに実務に忙殺されていくという悪循環へ流されてってしまっていることに(それだけでも悪いのですが)、さらに、私自身がその状態に気がついていないという、最悪の状態へとなっていました。

都内のある企業様では、管理職が変わると着任から100日後(だいたい3ヶ月後くらい)に、部門方針を全社員に発表させるという制度があるそうです。とても良い制度だと私は思います。本来であれば就任後の私は、3ヶ月後に全社の方針を決めることが最も優先する仕事だったのです。しかし、日々の業務に忙殺されてしまい、現場の処理に右往左往していました。これでは社長不在の会社と変わりありません。

このような内容は、今だから思い出して文字化できるのであって、当時は、私自身が気がついていないのですから、まったく最悪の状態にいるということにも気がついていませんでした。むしろ単に無我夢中で、右往左往というだけでした。
経営改善には『選択と集中』が大切なのは当たり前ですが、何に集中すれば良いのか判断できていない・・・という状態でした。

ひとつだけ言い訳をすれば、プロスポーツチームの仕事は、

・チームを強くする
・観客を集める
・広告協賛を集める

を同時にやらなければなりません。これを同時にやることがまずは難しい。しかし、実は最も難しいのは、同時にやれるのは予算に余裕があるときだけで、予算に余裕がないときは3つの中から注力点を決めておかなければ、全部がうまくいかなくなることを知って対応することなのです。
不慣れな私は、ますは眼の前の問題を全部を同時にやるということに挑戦しようとしました。そうです。。残念ながら予算もない中で・・・
結果は・・・ご想像のとおりです。まあまあ、上手くはいきませんでした。全部が中途半端に仕上がっていました。今思い出すと、当時はこんなことに気がつくのに、ずいぶんと時間をかけてしまっていたのでした。

怒涛の26連敗

社長に就任してから、4ヶ月があっという間に過ぎ去り、気がついたらシーズンの開幕日を迎えていました。その時点で入社から9ヶ月が経過していました。シーズン途中から入社した私にとっては、始めて迎える開幕戦。
沢山のご来場者(ブースターさん)にも笑顔がありました。そうした光景を見ながら、私自身も嬉しい気分にもなりました。そして、皆様のために良い試合をお魅せしたい(私がプレーするわけではありませんが・・)と心から思っていました。
開幕戦で1勝し、その次のアウェー遠征先でも1勝し、なんとなく、悪くないスタートを切りました。しかし、ここから惨劇が始まります。

負ける負ける負ける負ける負ける・・・勝てる感じが全然しないくらい負け続けていきました。それまでのBリーグ連敗記録は22連敗でした。
我がチームが15連敗、20連敗となる中、

「まさかリーグの連敗記録、更新しないよね?」
「そんなわけないよね・・・」
「次勝たないと、もう応援したくないな・・・」

といったブースターさんの声が私の耳にも届いてくるようになりました。試合会場でご来場のブースターさんに会うのも怖くなってきていました。
そしてその日はついにやってきました。23連敗となった日が。。。。。

バスケットボール素人の私には、何で負けているのか細かいところまではわかりません。でも明らかに、どのチームと対戦しても勝てそうにありませんでした。私自身が「よくもこんななにも負けられるな・・・」って思えるくらい負け続けました。私のtwitterには、それでも応援してくださる温かいメッセージに混じって、まあまあな罵詈雑言もダイレクトメッセージで送られてくるようになりました。世の中、匿名って怖いです。。。SNSで死ぬ人の気持ちもちょっと分かるかも、なんて思っていました。

私がプレーしている訳ではないですし、選手は全力を出しているのは間違いないので、私自身がどうすることも出来ないのですが、試合日の朝、目が覚めると「お願い。今日は勝って!!」と祈るような気持ちでもいました。でもそんな寝起きの祈りは通じず、その後もチームは負けて負けて負けまくり、それでも負けて負けて負けて、ついに26連敗を記録しました。

それほどまでにチームが負けまくっているとき、フロント業務は正直、何をしても無駄に思えていました。ご来場のブースターさんに(負けても)喜んで欲しいと思いホームゲーム企画をやっても、試合に負けたあとの皆さんの表情に楽しさは出ていません。
試合がない日にスポンサーさんにご協賛の提案に行っても、「記録的な連敗チーム」には検討もしてくれません。
私の信条は、フロントは「勝ち負けに関わらずブースターさんに喜んでもらえるマーケティング戦術」を淡々と実行することが仕事という考えなのですが、さすがに26連敗を記録する過程では、何をしても無駄に思えてきました。別に病んでいたわけでも、投げやりになっていたわけでもありませんが、今から思い出しても、あの連敗中が私自身は一番辛かったです。

連敗脱出後

なんとか感動的な1勝を上げることができ26連敗でとまりました。1勝ですが、優勝したくらい、心よりももっと下の腹の底から嬉しかったです。ブースターさんと一緒に待ちに待った1勝を喜びました。
でも、その後、急に連勝なんてことはまったくなく、それからの試合でも負けは続き、我がチームが作った連敗記録があまりに“偉大”だったので、記録更新とはいかないまでも、大型連敗は何度か続きました。

そして、連敗以外にも会社としての決算も最悪なものになってしまいました。コロナ禍とはいえ他チームを大幅に下回るマイナス成長。。。過去最悪の赤字計上。。。毎月のキャッシュフローで月末が嫌になるくらいの綱渡り経営。。。
経営者としての自分の無力さを嫌というほどに痛感していました。そうした中でも本当に多くの方に助けてもらい、アドバイスをもらい、なんとか1日を終わら、その月を乗り越えるという毎日を過ごしていました。

子供の頃からどんなに嫌なことがあっても、寝たら気分が元に戻るという“特性”をもっている私は、経営環境が厳しくなっている中、毎日、毎日、本当に良く寝ていました。寝て起きて元気になって、その日を乗り越える、そんな毎日を繰り返していました。

経営環境が悪い状況でも、黙々と仕事をしてくれている社員やスタッフには本当に感謝しかないですし、また、試合では最後の1秒まで試合で全力を出してくれている選手たちにも感謝でした。
そして、当社の厳しい経営状態を財務面からサポートしてくれていた多くの方々に一生頭が上がらない思いです。
そして何より、負けても負けても応援し続けていくれていたブースターの方々には、心から感謝していました。そんな経験があるからこそ、今の私は、あのときの経験を活かして、絶対に経営的な改善を成し遂げ、資金に余裕をもってチームに勝てる環境を届けたい、そして全ての人に笑顔になって欲しいと強く思うようになっているのです。

話を当時に戻します。
2022年の5月に辛く厳しいシーズンが終わり、私にとっての社長1年目も終わりました。
社長1年目を終えた私の感想は、沢山の失敗と多大なる迷惑をかけたこと、そして多くの方に失望を生み出していたことを認識した上で、「良い経験が出来た」という思いでした。
そんな良い経験をさせていただけたことに感謝をしつつ、2年目には少しでも感謝のお礼をカタチにしたいと思っていました。

今、これを書いているのは2年目の途中ですから、まだまだカタチになっていないことも含めて想いは複雑ですが、それでも、1年目よりは会社は改善できているとも思っています。チームの勝率については、まだまだですが・・・このあたりの今後の改善方針についても、また別の機会に書いてみたいと思います。

今回の文章の最後に、このnoteは私の自叙伝的なことではなく、スポーツビジネスにかかわることを私の視点で共有する内容にしていきたいと思っていることをお伝えしておきたいと思います。私の活動と振り返りや、私なりの考えも、その都度、その時々のテーマの中でお伝えしていきたいと思いますが、基本的には、これからスポーツビジネスで活躍してみたい!と思っていいる方に、私の経験を伝えていく場にしたいと思っています。

私は、プロスポーツクラブの業界は、まだまだ未成熟な業界だと感じています。その原因のひとつは、人材難があると感じています。これから、優秀な方々がスポーツビジネスを目指してもらえるように、私なりにこのnoteを通じて、これからスポーツビジネスを目指す方に私の考えや経験を語っていきたいと思います。

今回も読んでくださり、ありがとうございました。
次回も楽しみにしていてください。


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