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或る夜のできごと

 つい今しがた、寝付けなくなってしまうようなできごとに遭遇した。それを書き残しつつ眠気が来るのを待つことにする。

 夜9時ごろ、日記を書き終わってベッドに入った。今日は疲れていたし少し眠かったが、読みかけの本を読んでから寝ようと思い、本を開いた。
 寝付く直前は自分の中でいちばんすらすら本を読める時間なのだが、なぜか今日はあまり本が入ってこなかった。おかしいなと思いつつ、ゆっくりと本を読み進めていた。思えばこれは自分の中の第六感が働いていたのかもしれない。

 そんな緩慢な意識の中で本を読んでいたが、ふとガスの臭いがすることに気づいた。暗い中で嗅覚が研ぎ澄まされていたから気づいたが、日常の中だったらまず気づかないほどの薄さの臭いだ。
 家族は全員寝ているからうちではないことは確かだ。近所の家がガス漏れでも起こしているのかな、うちも火の扱いには気をつけないとななどと思ったが、大して気にも留めずに読書を続けた。

 30分ほど本を読み、きりが良くなったので寝ようと思った。すると遠くから消防車のサイレンのような音がすることに気づいた。それも一台ではない。複数の消防車のサイレンが聞こえたのだ。よく聞いたら救急車のサイレンの音も混ざっている。
 どこかで何かあったのかと思ったが、対岸の火事なので気にせず寝ることにした。どうせすぐにこの一団は遠ざかるだろう。
 そう思っていたが、一向にサイレンの音は遠ざからない。むしろ勢いを増しているようにも感じるのだ。これはただごとではないと思い窓の外を見たら、近所の空が黒煙に覆われていた。
 
 先ほど感じたガスの臭い、今飛び交っているサイレンの音、尋常ではない寮の黒煙、これらを踏まえると近所で大火事が起きていることになる。
 いてもたってもいられなくなり、近くまで様子を見に行くことにした。たまたま帰ってきたきょうだいもこの状況に並々ならないものを感じたらしく、同行することになった。

 煙が出ているのは、自宅付近の高台のあたりだ。我が家は谷底にあるので、とりあえず手近な坂を登った。そこから煙やサイレンの音を頼りに火元をたどっていこうとしたが、どうもうまくたどることができない。
 悪い予感がする。この方角で火元がはっきりしないということは、もしかして家事が起きているのは数ヶ月前まで自宅だった場所の近くなのではないか。

 というのも、我が家は数ヶ月前に引っ越しをしたのだが、引っ越す前は今の家から500メートルくらい離れたマンションに住んでいたのだ。
 そしてそのマンションの向かいには、坂に張り付くようにして別のマンションがそびえ立っている。メゾネットやベランダがたくさんあるこのマンションは、敷地内の地形がかなり複雑だ。火元がはっきりしないという点で、我々はこのマンションのどこかが火元なのでは?と推測したのだ。

 
 そう思い旧居の付近に行くと、目の前の大通りに消防車や救急車がごった返していた。上を見上げると案の定、火元だと思ったマンションの最上部から火と煙がもくもくと出ている。生まれてから数十年この辺りに住んでいたので、このマンションには知り合いがたくさんいる。その誰かが被害に遭っているかもしれないと思い、ただただ恐ろしかった。
 周りには野次馬もいたが、その中の一人が泣き崩れていたのが印象に残っている。「あの家は〇〇さんの家なのに」と言って狼狽する様子を見て、火元の家の人の生活が一瞬で奪われてしまう怖さを感じた。

 もう少し火元を詳しく知りたいと思い、火が出ている方まで上がることにした。上がってみると火元がはっきり分かったのだが、マンションではなくその裏にある一軒家だった。近くに到着すると既に近所の人がわんさか集まっており、知り合いが何人もいた。
 恐るべきは火事の様子である。一軒家の半分は燃えてなくなっており、残りの半分も焼き尽くすかの勢いでめらめらと火が燃えていた。記憶が確かならここの一軒家はまあまあ大きかったはずだ。その家を半分焼いてなお勢いがおさまらない火の様子を見て、どうすることもできなかった。

 しかしそれでも消防士さんは果敢に火に立ち向かっている。てきぱきと放水の指示を出し、火への恐れなど感じていないかの如く勇敢に消化活動をしている。
 その様子をただ突っ立って見ることしかできない自分が、どうしようもなく浅ましく感じた。火事だって消化活動だって決して見せ物ではないのに、暗い好奇心に唆されて小雨の中わざわざ歩いて火事を見学する自分が、ひどく卑小に思えた。火事や消化活動を好奇心を満たす道具として使うな。

 それよりさらに感じたのが、自然の脅威に対する人間の小ささだ。消防車が5台ほど出動しており、消防士さんが懸命に消化活動をしているにもかかわらず、火の勢いは衰える気配がない。少し火が小さくなったかと思うとすぐ、それまでの倍くらいの大きさになった火が立ち上ってくるのだ。小雨がやや強くなり、湿度が高かったのだが、そんなことは火の勢いを弱めるのに何の役にも立っていないようだった。時折ボンと爆ぜる音を聞き、隣家にも延焼しそうな火の勢いを目の当たりにすると、我々人間にできることなんてないように思えて仕方がなかった。消防車による決死の放水が、単なる気休めに見えてしまった。

 雨足が強くなり、火が消える様子もなかったので、我々は野次馬を切り上げて家路についた。自宅から歩いて5分の場所であり、ずっと住んでいたマンションのすぐ近くという日常の舞台の中で、大火事という非日常に遭遇するとは思いもしなかった。こんな火事を目撃してしまったら、「火の始末に気をつけよう」という陳腐な言葉で火への警戒心を喚起させるのが馬鹿馬鹿しいと感じてしまう。

 別にこの記事を通して火への注意喚起をしたいわけではない。自分の醜さや人間の無力さを断罪したいわけでもない。ただ先ほど遭遇したできごとに興奮し、新鮮なうちに情景や感情を言語化しようと思っただけだ。火事の発生から1時間ほど経ったが、断続的にサイレンの音は聞こえてくるし、窓を開けると煙の臭いがムンと鼻につく。自分の髪に残った煙の臭いも消えていないし、帰り際に眺めたものすごい量の赤色灯が脳裏に焼き付いて離れない。赤々とした火の色も脳を支配している。やはり今夜は眠れそうにない。

 

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