ビジネスメンター帰蝶の戦国記④

あらすじ 
 主人公・濃姫(胡蝶)がメンター、織田信長がメンティとなり、壁打ちしながら戦略を組み立てる戦国ライトノベル。歴史を楽しみながらビジネス戦略の基礎知識に触れる事ができます。
 第2章・ビジネスメンター帰蝶は、濃姫『胡蝶』の生まれ、名前の由来、に始まり、信長に輿入れするまでを描きます。胡蝶の子供時代、道三流にて、時代背景と商売の基本を、斎藤道三から叩き込まれます。
 (パワハラではありません。顔が怖いだけで、この道三は子煩悩です)
 この章では信長は最後に少し顔を出すだけで、お休みです。
                 ・・・第2章第3節以降は、推敲中。


第2章 ビジネスメンター帰蝶
  ~道三のスパルタ教育~

第1節 胡蝶生まれる

 既にお気付きと思うが、この物語のタイトルは「帰蝶」である。しかし、信長は「胡蝶」と呼んでいる。これは決して誤字ではない。
 美濃の姫、濃姫は、一般に「帰蝶」で知られているが、ほとんどの文献は、「道三の娘」「濃姫」「美濃姫」と記される。「帰蝶」の名は『美濃国諸旧記』にて出てきており、その後の文学作品ではこれが参照されている。「胡蝶」の名は『前野家文書・武功夜話』に出てくるが、何故かあまり使われない。
 どちらも伝記物(後日作成された歴史小説)だが、伝記物は史実と言うには怪しい部分が含まれる。テレビドラマの脚本家の演出を見て史実と主張するようなものである。
 もちろん勘違いや記憶違いもあっただろう。作者の思いや脚色も含まれるだろう。それだけならまだ害がないのだが、当時の権力者に対する忖度が強く働いており、権力者に迎合した内容・表現、時には改竄かいざんが行われるのだ。当時の作者も命がけなのである。
 実際、嫁に出す姫に対して、「出戻り」を連想させる「帰」の字を充てるのは不自然という説もある。まぁ、確かに。史実は今後の研究・発見を待つ事にしましょう。
 さて、この物語の濃姫は「胡蝶」である。しかし、それではマニアックな方しか分からなくなる。より多くの人に見てもらうには、タイトルは大事。だから、タイトルには一般に良く知られた「帰蝶」を採用した次第である。でも、この物語の中では「胡蝶」。
 では、なぜ、この物語の濃姫は「胡蝶」なのか。それは、これから述べる伝説が残っているとかいないとか・・・。

 1535年胡蝶は生まれた。父は「美濃のマムシ」こと斎藤道三、母は名門「明智家」の出である小見の方である。
「かわいい女の子ですよ」
 生まれた赤子を侍女が小見の方に見せる。
 小見の方は出産直後で、疲労困憊していたが、満足気に赤子をみつめた。
「お名前は決めていますか?」
 と侍女が聞くと、遠くの方からドカドカと近寄ってくる足音が聞こえた。足音は襖の前でピタリと止まると、襖が勢いよく開いた。そこには、怒ったような表情の道三が立っていた。
 小見の方と赤子を交互に見て、道三の表情が崩れて笑顔に変わる。そして、小見の方に言った。
「よくやった」
 父は下剋上の申し子・美濃のマムシこと、斎藤道三。
 この時代、血筋は重要である。『六角承禎条書』によれば、道三の父、新左衛門尉こと松波庄五郎は、元は法華宗の坊主である。還俗して油問屋を営み、才をもって長井家に仕えた。美濃が混乱した時に引き立てられて長井の一族となっている。簡単に言えば、道三は血筋がイマイチ、戦国大名の中で底辺なのだ。そのため、名門の姓を用いていた。小見の方を娶った時、道三はまだ長井規秀を名乗っていた。
 血筋に関して言えば、母・小見の方は申し分のない明智の出である。源氏の血筋とされる。
 戦国の世において、女子供は人質や政略結婚の道具という面が強かった。名門の血を受け継ぐ自分の子。有力な駒となる。道三にとって期待の赤子である。
 とは言え、出産は大仕事。医療も未発達な時代に無事に生まれる保証はない。
 道三が最初怒ったような表情を見せたのは、酷く心配していたからだ。道三は、案外心配性なのだ。
  (まぎらわしい。だから、いつも不機嫌だと思われるのよ)
 女子衆は一斉に思った。小見の方を世話する女子衆は道三の心配性を知っているから驚かないが、それでも知らぬものから見れば、見た目が怖い。いや、知っていても怖いかもしれない。
「かわいい女の子ですよ」
 侍女はそんな道三に向けて、同じセリフを繰り返した。
「名は決めたのか?」
 小見の方は、ニコリと笑うと
「ちよ」
 と小さく言った。出産直後で大きくはっきり発音できる状態ではなかった。
「良き名じゃ。ちょっと待て」
 そう言い残して道三はバタバタと部屋を出ていくと、しばらくして戻ってきた。手に紙を持っており、墨書きで「命名 蝶」と書かれていた。
 小見の方は普通に、『千代』のつもりだった。それを道三は『ちょう』と聞き取り、『蝶』の字を充てたのだ。
「?」
 小見の方は、一瞬固まった。
  (あぁ。でも、それも良い)
「良い名でしょう」
 小見の方は、しれっと自分が名付けた事にした。
「うむ。良き名じゃ」
 道三も満面の笑みを浮かべている。こうして、幼少期「胡蝶」は「お蝶」と呼ばれるようになった。

第2節 お蝶が胡蝶となったわけ・胡蝶の夢

 胡蝶はすくすくと育った。元気で物覚えが良い子であった。
 1542年、美濃守護・土岐頼芸を追放して、道三は美濃支配を確立した。その後のゴタゴタも片付き、生活に落ち着きが出てきた1543年の12月某日、胡蝶が熱を出して倒れた。
 発熱は7日間続き、時々、聞き取れないうわ言をつぶやいていた。8日目になると、ようやく熱が下がった。
「父上・・・?」
「気付いたか、お蝶」
 道三は、毎日、胡蝶の看病に来ており、胡蝶が意識を取り戻した時、道三が傍らに居た。
「はい」
「良かったぁ」
 道三が大きく安堵のため息をついた。周囲にいた小見の方、二人の侍女も安堵の表情を浮かべた。後日、『六角承禎条書』で、悪逆非道とボロカスに伝えられる道三だが、とにかく子煩悩なのである。
「ここは・・・美濃ですね」
 胡蝶が、軽く周囲を見ると、不思議そうにつぶやいた。
「そうだ」
 と道三が答えると、小見の方が近づいてきた。胡蝶の表情から何か読み取ったようだ。
「どうかしたのですか」
 胡蝶は小見の方を見ると、やや残念そうな表情を浮かべた。道三には分からなかったようだが、小見の方はさすがに母である。
「母様。夢を見ていました」
「どんな夢でしたか」
「いっぱい勉強しました」
「辛かったの?」
「楽しかった。戦の心配もなく、いろんな知識が学べて、友達も居て、・・・」
「そう。楽しかったのね?」
 胡蝶は小さくうなずいた
「はい。夢が覚めるのが残念に思うほど・・・。今の方が夢のように感じます」
 小見の方と胡蝶のやりとりを聞いていた道三がぽそりとつぶやいた。
「胡蝶の夢か?」
 胡蝶の夢とは、中国の思想書『荘子』、その斉物論・第二の最後に出てくる話である。
   荘周(荘子の事)が蝶になった夢を見た。美しく飛び回る蝶となり、
  とても楽しかった。蝶になっている時、自分が荘周である事を自覚しな
  かった。夢から覚めて、荘周が蝶になった夢を見ているのか、蝶が荘周
  の夢を見ているのか、良く分からなくなった。荘周と蝶は別のモノでは
  あるだろうが。
 道三は、知識人である。ただの強欲な男に下剋上はできない。二人の会話を聞きながら、胡蝶が楽しい夢の世界から、現世に帰ってきてくれたのだと解釈したのである。

 三日後には、胡蝶の体調も順調に回復していた。
「父上、お呼びでしょうか?」
「夢を覚えておるか?夢の中でどんなことを勉強したのだ」
「難しくて理解はできなかったのですが、変な文字がありました。いろんな種類の文字があって、・・・。特にその文字のおかげで算術は理解し易くなっていました」
「ほほう。書いて見せよ」
 道三は紙と筆を用意した。
「はい」
 というと胡蝶は筆で数字を書き出した。
 『一は1,二は2,三は3,四は4,五は5,六は6,七は7,八は8,九は9,0』
「最後の丸はなんじゃ」
「ゼロと読みます。何もないという意味です」
「何もないのに文字があるのか?」
「はい。ですが、これがあるおかげで、・・・」
 というと、誇張は紙に書き足した。『十は10』
「このように表現できます」
「何もないが・・・。算術が楽に・・・。!」
 道三は、ぶつぶつとつぶやくと、何か思い出したように胡蝶に聞いた。
「お蝶はソロバンを知っておるか?」
 道三はソロバンの絵を描いて胡蝶に見せた。
「似たものを夢で見ました」
「ほう」
「私が夢に見たのは、上の玉は一つしかなく、下の玉は四つ。上の玉は五を表していました」
「わしも、つい最近目にしたが、ほとんど知られてはおらぬ筈じゃ」
 1543年8月、種子島に中国船が漂着する。この船に同乗していたポルトガル人が火縄銃を伝える事となる。実はこの時、航海の計算のために中国人が中国式ソロバンを使っていたのだ。
 信長に負けず劣らず新しい物好きの道三は、火縄銃の話を聞くと旧知の商人を頼り、火縄銃を入手しようとした。道三の父・松波庄五郎が油問屋の時の伝手が、道三の代になっても残っているのだ。結局、その時は火縄銃を入手できなかったのだが、期せずして中国式ソロバンを目にしていたのであった。計算の道具に興味を惹かれるのは元商人の息子として血筋なのかもしれない。
 なお、史実で確認できる日本のソロバンは、少し後の1570年代とされている。1612年には近江国、大津追分の片岡庄兵衛が中国(当時は明)の人よりソロバンの見本と使い方を教えてもらい、それを改良したのが大津ソロバン(上の玉が二つ、下が五つ)である。
 日本では、まだゼロが無い時代(少なくとも概念として一般的に使われていない時代)である。恐らくは、文字と表現を合わせるために、上の玉が二つ、下が五つが有用だったと推測される。既存の文化に道具を合わせた結果が大津ソロバンの上二つ下五つだったと推測される。
「十だと、ここを基準にして十の位に玉を一つ上げます。一の位の玉は動いていません。一の位には何もないので、ゼロの文字を充てます。すると同じ表現になります」
 道三は驚いた。胡蝶が見た『夢』の中では、ゼロという文字『0』がある事で十が10という文字で表現するようになり、実用上、不要な玉が消えているのだ。この時代の最先端の道具(中国式ソロバン)が更に進化した世界の知識という事になる。これは生物が進化によって不要となった臓器が形跡を残すだけになったのに近い現象かもしれない。
「ゼロがある事で玉の少ないソロバンの表現と文字が一致するのだな」
「そうです。だから、計算がし易くなるのです」
  (まさに『胡蝶の夢』。興味深い。夢の中で何を学んだのだろう)
 道三の興味は尽きなかった。この日以来、道三は「お蝶」ではなく、意識して「胡蝶」と呼ぶようになる。不思議に思う胡蝶にも、荘子の話を伝えた。そして、次第に周囲も道三に倣って、「胡蝶」と呼ぶようになった。

 その翌々日から胡蝶は道三の『教育』と言う名の壁打ち(テーマを決めて議論する)に付き合わされる事となる。外で遊びたい胡蝶にしてみれば、迷惑な話ではあったのだが、これが信長に嫁いだ後に役に立つことになる。

中書き(仮)

 物語の途中で『後書き』というのも変なので、『中書き』(?)です。
 歴史(特に一次資料)に出来る限り忠実に物語を構成しています。いろんな説がある時は適当に独自解釈して辻褄を合わせるようにしています。
 しかし、本作は歴史の研究論文ではありません。一応、ビジネス書です。創作ライトノベルです。お気楽にお楽しみください。
 なお、本能寺の変まで計画しており、もう少し先まで完成させたかったのですが、登場人物がどんどん増え、調べれば調べるほど知らなかったイベントや新しい説に出会い、整理が追いつきませんでした。
 応援よろしくお願いします。

参考:書籍(1章・2章)

書籍類

 信長公記       太田牛一・著 中川太古・訳
 甲陽軍鑑       腰原哲朗・訳
 武功夜話・信長編 加来耕三・訳
 孫子        町田三郎・訳注
 中国古典新書・呉子  松井武男・訳注
 信長公記・戦国覇者の一級史料 和田裕弘・著

 荘子    金谷治・訳注
 君主論   マキアヴェッリ・著 黒田正利・訳
 濃尾歴研・創刊号 濃尾歴史文化研究所

インターネット情報(1章・2章)

地形情報
 https://ktgis.net/kjmapw/
 https://www.freemap.jp/about_use_map.html
吉良侵攻
 https://www.sengoku-battle-history.net/kira/
濃姫の名前
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/toyotakosenkiyo/46/0/46_KJ00008915460/_article/-char/ja/
六角承禎条書
 https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kusatsujuku/gakumonjo/gallery.files/R2.4.pdf
 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/75390/
道三の書状
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014431231000.html
ソロバン
 https://www.shuzan.jp/gakushu/history/
 https://www.hashiriimochi.co.jp/history06.html
その他
 Wikisource : 美濃国諸旧記・巻之二  黒川真道・編
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