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『この街のどこかで』サンプル

いしまるが個人で作ったZINE(?)短編小説集『この街のどこかで』のサンプルです。文学フリマ福岡10を皮切りに、イベント等で販売予定。

以下、短編集の概要と、収録している3作品それぞれの冒頭です。


『この街のどこかで』概要

作品名:この街のどこかで(このまちのどこかで)
著者 :石丸明(いしまるあきら)
判型 :B6
頁数 :56頁
価格 :400円
青春や恋愛をテーマとした短編小説3作品を収録。各作品、原稿用紙20枚前後。初出はいずれも大阪文学学校発行の『樹林』です。

「ほんと、馬鹿だよね」
主人公雅(みやび)と、同じ大学に通う弥生(やよい)、弥生が想いを寄せる奏多(かなた)、の話。

「スーパー×スーパー」
事務職員として働く美里(みさと)は、日々の仕事に疲れ果てていた。そんな仕事の帰り道に寄ったスーパーマーケットで、ある問題を起こしてしまい……。

「背中」
大雅(たいが)は弓道部を辞めた。努力では敵わない才能を目の当たりにして、潔く諦めたつもりだった。でも——。


各作品冒頭


ほんと、馬鹿だよね

 ベッドに寝転び、スマホを眺めていた。推している女性アイドルグループが、小さな画面の中で歌い踊る。窓から入ってくる秋風が心地いい。風呂も夕飯も済ませ、スッピンでくたくたの寝巻きを身につけている。もういつ寝落ちしても良い、怠惰の時間。

 なんの前触れもなく、推したちのパフォーマンスが止まった。画面が切り替わり、弥生(やよい)からの着信を告げる。

 でる前から、用件はなんとなく察しがついた。きっと気に食わない内容。それなのに、弥生からの電話というだけで心が浮つくのを抑えきれない。それを悟られないように、出来るだけ平淡に声を発した。

「もしもし」
「もしもし雅(みやび)? 急にごめん。今大丈夫?」

 弥生の声は少し上ずっていた。車や風らしき雑音が混じっているから、たぶん屋外にいる。息が弾んでいるから、きっと歩いているのだろう。

「大丈夫。どうしたの?」

 予想はついているくせに、白々しく訊ねた。

「奏多(かなた)くんから連絡があって……」

 予想は当たり。なんなら、続く言葉を当てることも造作ない。

「今から会いたい、って言われた?」

 キツい言い方にならないように気をつけながら訊く。弥生は「うん……」と言って黙ってしまった。はい、これも正解。電話越しに複数人の騒ぎ声が近づいて、離れて行った。酔っ払い集団とすれ違いでもしたのだろう。

「行くの?」

 行くに決まっているのに、わざわざ訊いた。その見込みが外れてくれることを、無意識に願っているのだろうか。

「どうしよう……」

 心は決まっているくせに、こうやって相談のテイで背中を押させる。そんな人間が嫌いだ、基本的には。それなのに、どうしてだか弥生のことは嫌いになれない。

「先週『もう会わない』って宣言したばかりなのに、私に申し訳ない? それなら気にしなくていいから。ていうかもう、駅に向かっているんでしょう」

 私は嘘を吐いた。本当は気にして欲しい。行くなと伝えたい。それをしないのは、彼女を想って? ううん。ただ良い顔をしたいだけ、私が。

「雅、ありがとう」
「別に、お礼を言われるようなことじゃないから。気をつけてね」

 電話を切る。しばし、虚無。それから我に返って数分間、私は頭の中で、橘たちばなかなた奏多をなじりになじった。バカ、くそ、間抜け。ちょっと顔がいいからって調子に乗りやがって。ヤリチン。ろくでなし、ひとでなし。腐れ外道。……知っている語彙だけじゃあ到底足りない。もっと、彼の全てを表し否定するような、的確で強い言葉が欲しい。

 橘のところに向かった弥生は、この後きっと、終電を過ぎた頃に家から放り出される。そして自棄になって、歩いて帰ろうとする。これまで何十回と繰り返されたテンプレート。私は、そんな弥生を拾いに行かないといけない。……なんて、夜中に呼び出して放り出す橘も、ノコノコ応じる弥生も、それを迎えに行く私も、みんな意味不明だ。

 普段着の中の、ちょっとお気に入りの服に着替え、洗面所へと向かった。風呂場から父親の鼻歌が聞こえる。見つかるとうるさいから、上がってくる前に出かけてしまおう。ささっと簡単にメイクする。母に声をかけて家を出た。 (つづく)


スーパー×スーパー

「川島(かわしま)さん、学校案内パンフレットの原稿、出来ましたか?」

 終業時刻の五分ほど前、川島美里(かわしまみさと)に声をかけてきたのは上司である殿村(とのむら)だった。去年の春に姉妹校から移動してきて、美里が事務職員として勤める私立高校の事務長になった、五十過ぎの油ぎった男性。

「いえ、すみません、まだです」

 美里は反射的に頭を下げた。下げながら、締め切りは明後日だから謝る必要はないのだけれど、と思っていたところに殿村の声が降ってくる。

「大丈夫ですか? 打ち合わせ、明日の午前中ですよ」
「え? 三日後と伺っていたのですが……」

 驚いて顔を上げた美里に、殿村が大きく溜息をついた。

「川島さん、あなたもう社会人四年目が終わろうとしているんですよね。スケジュール管理くらい出来るようになっていないと、この先厳しいですよ」

 有無を言わせない殿村の圧に、美里は反論を呑み込まざるをえなかった。年度末ということもあって業務が立て込んでいて、このところずっと残業が続いていた。体調も優れなくて、頭痛や倦怠感を市販薬で誤魔化している。今日はなんとか早く上がってゆっくり寝ようと思っていたけれど、諦めよう。

「……すみません。今日中に仕上げます」

 絞り出した美里の言葉に、しかし殿村が追い討ちをかける。

「今日中って言ったって、もうあと五分も無いですよね。もしかして、残業するつもりですか。誰の許可を得て、残業するんですか。川島さん最近残業続きですよね。他の人たちはちゃんと定時で帰っているのに」

 それは明らかに業務量が違うからでは、と言いたい気持ちをぐっと我慢する。無駄な言い争いをする気力も体力も時間も、美里には無かった。

「……いえ。個人的に、自己研鑽のために残らせてもらいます」

 自己研鑽のために残るのは、残業じゃないですよね。というのが、数字上の残業を減らしたい殿村の口癖だった。

「そうですか。じゃあ、あまり無理しないでくださいね。私はお先に失礼します。お疲れ様でした」

 殿村はさっさと事務室を出て行った。他の職員も、それに続いてパラパラと帰っていく。「大丈夫?」「お疲れ様」気遣いを口にはするけれど、手伝う者はいなかった。

「よし、がんばろう」

 みんな帰ってしまった事務室の中で、美里は呟く。声に出して自分を奮い立たせないと、頑張れなかった。 (つづく)


背中

 自分の体が、綺麗な十字になっているのがわかった。足の裏から根が生えて、深く深くもぐっていく。頭のてっぺんからは丈夫な糸が伸びて、ツンと空へ引っ張られる。弓を引く両の腕は、背中を中心に左右へどこまでも伸びていった。左へ捻(ひね)った顔はしっかりと、ただ的を見据えている。

 会(かい)——弓道で、矢を放つ直前の形。これだよ、これ。胸の底から、興奮が湧き上がってきた。高校に入ったと同時に弓道を始めて、半年あまり。「道」を極めるには短すぎる期間だとわかってはいる。それでも半年間、真剣に追い求めてきたイメージにやっと到達した喜びが、体の中でぐつぐつとたぎっている。肩や腕や、その他どこにも変な力が入っていなくて、前に突っ込んだり腰が引けたりもしていない。中あ てよう中あたれ中あたらないかも、なんて邪念もない。

 離(はな)れ——手を無理やり離すのではない。体が開いていくその延長線上で、自然と弦(つる)から手が離れ、矢が放たれる。ティンッ、高く乾いた弦音(つるね)が鳴って間も無く、タンッと鼓のような音をさせて矢が的を貫いた。

 残身(ざんしん)——離れたままの、自然な体勢を保つ。体だけではない。心も残して、静かに射(しゃ)を振り返る。今の感覚を、忘れないように。とにかく頭で、体で、覚えておくこと。そして何度も繰り返し弓を引いて体に染み込ませる。そのためには早く起きて練習に行かないといけない……。そう、途中から気づいていたのだ。これが夢だってことを。

 飛び起きて朝練に行く支度をしかけて、思い出す。

 ——ああ僕、部活やめたんだった。

 朝練になんか行かないし、夢で掴みかけた感覚を現実のものにする必要もない。それなのに僕は、せめてもとベッドの横に立って弓を引く動作を繰り返した。

 十五分ほどそんな無意味なことをやれば流石に満足して。いつものように着替えて学校に行く支度をする。無駄に早く起きたから無駄に早く準備が済んでしまった。朝練に行っていた時よりちょっと遅い、中途半端に早い時間の電車に乗った。早朝の電車は空いている。座席の埋まりは九割ほど。立っているのは数人で、ほとんどが制服を着た学生だ。

 ドアのすぐそばに立つ。窓の外の流れる景色を見ながら、胴造(どうづく)り——弓を引く時の姿勢をとる。電車内だから、もちろん手はつけないで足腰だけで。足は肩幅よりちょっと広く、つま先は六十度を目安に開く。重心は前めに。親指の付け根あたりに体重を乗せ、丹田に力を入れてブレないようにする。

 もちろん、いつもこんなことをしているわけじゃない。電車が空いていて、かつ知り合いがいない時に限ってだ。けどもう必要のないことだった。弓道を辞めたのに、ブレない体勢を追求したって意味がない。誰も僕のことなんか見ていないのに、ふんと鼻で笑ってドアの枠にもたれかかった。


 当たり前だけど、部活を辞めても日常は普通に過ぎていった。相変わらずヒゲの英語教師はいけ好かないし、倫理の梅Tはブラックジョークを連発している。休み時間にはクラスメイトとふざけあって、どうでもいいことがツボに入って爆笑。そうこうしてたら放課後。部活に行く友達を見送って、さあ帰ろうか。そんな感じ。これまで見送られる側だったから、なんか違和感がある。つい先週までは帰りのホームルームが終わるやいなや、学校の敷地の端っこにある弓道場に急いで向かっていたのに。なんて、若干のセンチメンタルを覚えるのも今だけで、あと何日かすれば慣れるだろう。

 カバンを持って教室のドアへと向かう。はかったようなタイミングで、ひょこっと怜央(れお)が顔をのぞかせた。

「あ、よかった。大雅(たいが)おった」

 整った顔をくしゃっとさせて、怜央が笑いかけてきた。おう、と適当に返事をして、その横を通り抜けようとする。

「ええ、大雅、今日も部活来んの?」

 帰ろうとした僕に、怜央が不満げな声をあげる。

「やけん、辞めたっち言ったやん」

 なんでもないことのように答えた。

「なんでよ。大雅、あんなに真剣にしよったんに」

 怜央が唇をつきだす。顔がいいと、そんなわざとらしい表情さえ絵になる。

 真剣にしよったけん、よ。

 そう思ったけど、口には出さない。

 誰よりも真面目に練習して、毎日居残り練して、朝練も欠かさず参加して。それでも新人戦のメンバーには選ばれなかった。選ばれたのは、朝練に一度も顔を出したことがない、居残りだってしない、それどころか日々の練習すらサボりがちの、怜央だった。

 真面目にやっていたのに選ばれなかったことが不満なんじゃない。真面目とは言い難い怜央が選ばれたことにも文句はない。大事なのは実力だ。才能のない僕の頑張りが、怜央の持って生まれたセンスに敵わなかった、それだけだ。それだけだから、直面すると苦しかった。だって僕は、本当に一生懸命にやってきたんだ。もう限界っていうギリギリで、いつも頑張っていた。あの時もう少し頑張っていれば、って思えれば楽だったかもしれない。まだ頑張る余地が、成長する伸び代があるってことだから。でも、僕はもう本当にいっぱいいっぱいだった。勉強はそこそこに、遊びの誘いも断って、時間の限り弓を引いた。引けない時は、体づくりに励んだ。それも出来ない時はイメージトレーニング。そこまでやって、それでも怜央には届かない。

 世の中には、逃げられない苦しさだってたくさんあると思う。でも部活は、別にやらなくてもいいことだ。やらなくてもいいことで、こんな苦しい思いしなくてもいいんじゃないかって、そう思い始めたらもう、辞めることしか考えられなくなっていた。

 だからってすぐ辞めたわけじゃない。メンバーに選ばれなかったからって辞めるのは流石に自己中すぎるとわかっていた。新人戦が終わるまではあらゆる雑用をやってチームを支えた。雰囲気が悪くならないように、声を出して盛り上げた。九州大会を目標にしていたチームは、しかし県大会四位と不本意な結果に終わった。それで僕にとっての新人戦も終わったから、先週、顧問に退部届を提出したのだ。

「……いろいろ忙しいんよ」

 辞めた理由なんかくだらなすぎて話せないから、適当に答えて帰ろうとした。

「……ふうん。んじゃ、一緒帰ろ」

 怜央は納得してませんって顔からころっと切り替えて、けろりと言った。

「いや、おまえ部活やろ」
「いい。サボる。そうや、マックいこ。月見……はもう終わったかな。グラコロにはまだ早い? まあ、なんかあるやろ」

 飄々と言ってのける怜央に、怒りを覚えるのは違うってわかってる。わかってるけど、でもこれ以上一緒にいるのは無理だった。

「ごめん、今日は用事があって親が迎えくるけん。ほら、ちゃんと部活行きなって」

 渋々、といった様子の怜央が、けれどちゃんと弓道場の方に歩いていくのを見送ってから、僕は帰路についた。 (つづく)

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