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オシャレ泥棒と宮沢りえ

東京トンガリキッズ、復活! と題してnoteに連続投稿しています。少々間があいたので、今回は番外編。1988年に私は小説『オシャレ泥棒』を出版しました。
この本は、スゴいですよ! 我ながら、本としてのツクリが破格です。カバーなしで、背が布張り、タイトルが金箔押し!

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もちろん、岩波書店のエーリヒ・ケストナー少年文学全集『エーミールと探偵たち』等へのオマージュです。出版元は当時、単行本部門を発信したばかりのマガジンハウス、「オリーブ」の本の一冊として出ました。イラストは「オリーブ」連載の「のんちゃんジャーナル」が人気絶頂の仲世朝子さん。
ミッキーとミニーの女の子二人組が、東京中のかわいいもの、オシャレなものを泥棒しまくるというお話。当時、少女ファッション雑誌「オリーブ」全盛で、ファッションブランド・ショップが街にあふれていました。『オシャレ泥棒』には代官山や青山・原宿の泥棒マップや詳細なショップメモを掲載。

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「東京トンガリキッズ」の読者の女の子らに取材を手伝ってもらいました。その一人が後にイラストレーターとなり、雑誌「Cawaii!」のタイトルロゴを描かれた森永ニッカさんです。現在、ライターとして活躍されておられる小石原はるかさん(当時、高校生でした)にも情報提供いただきました。
ケストナー『エーミールと探偵たち』では冒頭、色地バックのイラストで人物紹介が出てくる。これもオマージュしました。いや、今、見てもかわいいですね〜。

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で、この『オシャレ泥棒』の原点は、実は「東京トンガリキッズ」だったんですよ! 第25〜26回に前後篇で書きました。

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お〜BGMがピチカートVの『オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス』(ヘップバーン主演の映画『おしゃれ泥棒』がありましたからね!)、小泉今日子の『フラッパー』だ…すっかり忘れていました。そういえば、その後、フリッパーズ・ギターの「POPEYE」誌の連載で、小沢健二と小山田圭吾がマガジンハウスの本をネタに『オシャレ泥棒』の扮装で撮った写真を載っけてくれたりしました! (追記=熱心なフリッパーズファンの方からご報告がありました。『オシャレ泥棒』の扮装ではなく、『オシャレ泥棒』に対抗した『おしゃれ探偵 フリッパーズ』の扮装じゃなかったですか? とのことです。えっ! そうでしたか…すんません、誰か確認してください)

この雑誌版「オシャレ泥棒」の回は『東京トンガリキッズ』の単行本に収録しておりません。ちょっと他の回と毛色が違う…いや、待てよ、これ一冊の長篇小説になるんじゃないか! 話に乗ってくれて、担当してくれたのが、マガジンハウスの編集者・広瀬桂子さんです。広瀬さんとはミニコミ雑誌時代からの仲間でした。とてもパワフルで優れた美意識を持ち、『オシャレ泥棒』の本としての美しさはまったく広瀬さんの功績によるものです。
執筆当時、私は28歳、新人類騒動の精神的ダメージから逃亡、中野の図書館で『オシャレ泥棒』を執筆していました。このあたりは自伝的小説集『青い秋』に収録の「美少女」という短篇に書きました。ぜひ、ご一読いただければ、と思います。

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さて、『オシャレ泥棒』は好評でした。渋谷の109-②で出版イベントをやり、女の子らがいっぱい集まった。初版3万部! という現在では考えられない大部数でしたが、ちゃんと重版しました。
いや、それだけではありません。なんとTBSでテレビドラマ化されたんですよ! 主演のミッキーに宮沢りえ、ミニーに中嶋朋子、ドラマ版ではデイジーが加わり西尾麻里が扮しました。1989年5月に放送、脚本は清水有生氏と、後の『家政婦のミタ』の遊川和彦氏です!
DVD化はされてませんが、その後もCSで放送されたりしています。

あ、これがドラマ『オシャレ泥棒』を特集した当時の「ザテレビジョン」です。主演・宮沢りえ、16歳!

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原作者の中森明夫、29歳…若い😅

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こんな宮沢りえ論を展開しております。

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ところで、この『オシャレ泥棒』が私の小説で唯一の映像化作品なんですよ。小説の著作そのものが数少ないですが、それでもこれまで何度か映画化の話がありました。『オシャレ泥棒』も某アイドルグループ主演で…と大手映画会社のプロデューサー氏から持ちかけられたり。『東京トンガリキッズ』の連載中にも未知の映画監督から突然、お電話があり「映画化しましょう!」と。「でも、あれショートストーリー集で、一本の映画にするのは難しいのでは?」と応じると「中森さん、脚本を書いてください」と言われた。それは当時、ピンク映画で活躍されていて、後に巨匠監督となった廣木隆一さんでした。
映画というのは、予算だのキャスティングだのスタッフだのなかなか難しくて、企画が持ち上がっても頓挫する例が山ほどある。私は若い頃から映画に影響を受け、映画には夢があります。しかし、映画の企画に関わって、何度か理不尽な思いをして、そうした夢を放棄するに至りました(テレビでも同様でした)。
近年、映画関連の知人が増えて(故・大林宣彦監督や岩井俊二監督や)、さらに若い映画クリエイターたちとたくさん交流を持つようになりました。が、あくまで観客として、映画の応援団でいようと思っていたんです。
ところが、コロナ禍となり、若い映画関連の仲間らと呑み明かすこともめっきり無くなり…自らを励まそうと、小説『TRY48』を書き始めました。寺山修司が現在も生きていて、86歳でアイドルグループをプロデュースする! その名も…TRY48。主人公はユリコとサブコ、女の子二人組。

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ああ、なるほど『オシャレ泥棒』も女の子二人組だったな…と気づきました。今で言う、シスターフッドでしょうか? 女の子二人組が未知の冒険に出発する…というスタイルが好きなんですね。
『オシャレ泥棒』『TRY48』に続く、さらなる女の子二人組の物語を、今、実は書き始めています。これまでとはまったく違うジャンルを主題とした、一種の冒険物語です。
一度は断念した映画の夢を、若い映画クリエイターらとの出会いが再熱させてくれた。それで映画化を目指して物語を書き、若手らと動いたんですが、あいにくコロナ禍にぶつかり、いろいろあって頓挫してしまいました。残念です。それでも、この物語はなんとか完成させようと思います。
以前、noteで小説から新しいことを始めます…と書いたのは、一つには映像化のことでした。その後、何人かの方々とお話させていただいています。ぜひ、映像関連の皆さま、あるいは他ジャンルの皆さま、ご協力ください! 中森明夫の新しい小説にご興味のある出版社の皆さまも! ツイッターのDMを解放してますので、気軽にご連絡ください。
さて、『オシャレ泥棒』以来の女の子二人組物語『TRY48』、まもなく文芸誌「新潮」での連載が終了します。単行本化の予定です。くしくも来年は寺山修司の没後40年、なんらか派手に展開したいです。寺山自身は演劇や映画の人でもありました。寺山に薫陶を受けた劇作家・高取英さんには、ずっと以前から『TRY48』のことを話していて、小説が出たら氏の主宰する劇団・月蝕歌劇団で演劇化したいとおっしゃってくれました。が、4年前に高取さんは亡くなり、月蝕歌劇団は活動を休止。残念です。もともと寺山修司や高取英の演劇や映画に刺激を受けて、書いたのが小説『TRY48』です。いつか演劇化・映画化・ドラマ化されたら、うれしいです。とはいえ、老人となった寺山修司をいったい誰が演じるのか⁉︎ という問題もありますが…。

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長くなりました。それでは、最後の逸話を。小説『オシャレ泥棒』の前年に私は、当時13歳の後藤久美子の発言集『ゴクミ語録』の取材・編集をしました。後藤久美子と宮沢りえは子供時代にお菓子のC Mで共演して以来、仲良しだったんですね。『オシャレ泥棒』のドラマ化で、宮沢りえの主演が決まり、彼女の16歳の誕生パーティーに出かけた私は、初対面しました。いや〜、実物の16歳の宮沢りえは、本当にまぶしかった! パーティーの終盤に後藤久美子が飛び込んできて、二人は抱き合って笑っていた。こんな機会はありません。私は思いきって声をかけ、二大美少女を両脇に置き、写真を撮ってもらいました。宮沢りえ=16歳、後藤久美子=15歳、中森明夫=29歳。1989年、4月です。

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