「勉強ができる」の罠
わたしは「勉強ができる子」だったので
周りの大人たちに見過ごされていたタイプの人間です。
勉強。
若いので記憶力も良かったと思いますが、一部IQが140近いからか、わかりませんが。嫌いな学科はあれど「授業さえ聞いていれば」困ることはなく。完璧主義的な性質が勉強でプラスに出ていたのか、私立の進学校である高校生までは「勉強ができる子」の部類に入っていました。
大学はアメリカだったので基本的には「英語」で。わたしは「国語能力が低い」と自覚があったので、英語も本来は「難しい」のですが、相性がよかったのか周りの子たちよりは得意だったのでアメリカの大学に進めました。現地でも大学に入るための「英語が第二言語」となる国の人たちと一緒に学ぶ語学学校でも、最終試験に一髪で合格し。最短の3ヶ月で大学に入学することができました。試験に受からず、長い子は大学に入るまでに1年半以上かかる人もいたので、そういう子と比べると「早い方」だったと思います。
「できないこと、苦手、嫌い」はあるけど
「勉強ができた」ので
周りの大人も親も「この子は大丈夫(勉強ができるし優秀だから)」と思っていたようです。他にも褒められていたことはありますが、一番先に言われるのが「勉強ができること」でした。
大人の「人(こども)を見る指針」として「勉強ができる」はやはりとても大きかったと思います。
実際に今自分が2人の親になり、
やはり「勉強ができる」というのは、漠然と「安心できる」材料になってしまうな、と思います。
だけど、
わたし自身「不安」は「勉強以外」にありましたし、実際そうでした。
ただ、当時は自分自身、その不安が「なんだかわかってない」わけで。具体的に「言語化できない」ので、人に「伝える」ということもできず。周りの大人(家族)も「理解をしめしてくれるような大人ではない」ので、うやむやなまま「なかったこと」にしてきました。
当時は「親に助けて欲しかった」のですが、
親自身が「自分のこと」に詳しくないのです。
大事なことがわからないまま「親(祖父母)の言う通り」に生きているわけで。
わたしの母は「こどもは親の言う事きいておけ」というような親の教育方針の中で育ってきて、自分の気持ちや心に対して「理解を示してくれた大人の存在」を知らない・持ってない・経験していない人でした。
そんな親です。
我が子に対して「ないもの」を「与えられる」わけがありませんでした。
もし一時的に「与えられた」としても
経験したことがないものを「言葉だけで伝える」ことはできても
そういうものは「相手に伝わらない」のです。
知識として頭には入ってくるけれど。
それが「こころの方」に響いてこない。
それが、人を「育てる」というときに
顕著に現れてくることだと思います。
経験していないことは「わからない」のです。
それを、
無理に「親だから」とわかったふりして「教えようとする」から、子供側からの「信頼を失う」ようなことになるのです。
わたしも、自分が「自分の問題」と向き合えていなければ、知らずに「口だけ」のことを「教えよう」と必死になっていたと思います。
できないことも「できるつもり」になって話していたと思います。
わたしが親にされてきた「大丈夫」という根拠のない、無責任な言葉を投げるだけで、必要なサポートをすることをせず、「結果だけ求める」というようなことを子供に無意識に強いていたと思います。
こどもに勝手に「できる」と勘違いして期待して。
こどもができなかったときに「勝手に失望する」と。
「理想」を相手に期待し、押しつけ。
「現実」を受け入れようとしていない子育て
というのは、
本当に、お互いを傷つけ、お互いに疲弊し。
関係性は、こどもが大きくなるにつれてどんどん悪化します。
悪化するのが目にみえるくらい「理想論」というのは
人の不安を煽り、人を傷つけます。
自分が「理想を掲げる」のは良いのですが
相手が関わることは、「相手ありき」なのです。
理想は空想と同じようなもので
現実をしっかりと「みる、把握する、受け入れる、理解する」こと
でしか叶えられていかないもの。
その「現実」を
みる、把握する、受け入れる、理解する
このプロセスが、
ものすごく大変で。
こんなに「大変なこと」だと
わたしは思ってもいませんでした。
知らないって、ある意味「しあわせ」なんです。
本人「だけ」は、しあわせで居られるから。
どちらがいいか悪いかわかりませんが、
わたしは「苦しかった」ので。
「知る方」を選んでいって今に至ります。
地に足をつけて生きるって
きっと「こういう感じ」なんだろうから。
確かな感覚がある方が
「生きている」実感が、あります。
だから、
自分のことに詳しくなることが
キツイけれど、わたしは選び続けていることで。
自分の「生き方」だなと思っています。
周りの大人に見過ごされて
自分でも「自分のこと」をわかっていなかった
あの「不安な時期」のことを思えば
今はずっと「生きている」実感があります。
誰かにみられる、評価される自分ではなく
自分で、自分のことを受け入れていく人生。
今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。