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「共依存」だと感じられない。「世界が『わたし』に開いている」ってことを。

『共依存』

という人間関係は、本当に「ふたりきり」です。

世界に、その相手「しか、いない」と。
錯覚する世界に陥ります。

その世界(モード)に入っているとき、本人に自覚はありません。
全く、気づけません。「どういうことが、起こっているのか」は、自分ではわかりません。

ものすごい「繋がり」を体感できるので、
ものすごい「しあわせ」も感じるのですが、
それはとても刹那的というか、「いい時だけ」なのです。
基本的に「破壊的」な人間関係をうみだすこころの仕組みから
できているので、本質的には「ものすごく、辛い」のです。

すごくイヤというか、苦しい。
自分を「失っている状態」なので、
そういう感覚があるのは当然なことなのですが。
実際、どういうことが起こっているのかを
自分で気づくことは本当に難しいのです。

「仕方がない」というか「これが、わたし」
という感覚を、自分で表に出すしかなくなる。


それ以外、ない。


というような極端な感覚に襲われてしまう。

共依存という関係性が「当たり前」になっている場合、
その相手との「繋がり」がなくなれば、「自分も、なくなる」というような感覚・感情に強く強く襲われます。

相手と「一体化している」からです。

母と娘において、それはものすごく強烈で。

そこから解放されていくには、
ものすごい「痛み」と「絶望」と「恐怖心」を伴っていきます。

この感覚、感情は

「見捨てられ不安」

という愛着の問題とも深く関わってくるのだと思います。

口で言うのは簡単
実際に「改善、克服していく」となると、
とんでもなかったです。

とんでもないことだったのだと
今振り返ってそう感じます。

人生を終えるときまでに、
どのくらい「わたしらしく」生きていけるだろうか。

人生が「全て、変わってしまう」ような。

いまだに、どの瞬間も、慣れず。

引き戻されながらも、前に進むのみ、であります。

本当に、
大きなことなんだと
毎日感じています。

世界は
本当は
ものすごく「広く、大きく」
わたしに開いているのだということ。

今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。