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「お母さんの話がききたい」

ここ数ヶ月で、
娘との関係性がまたグッと変わってきました。

元々、わたしの「母親との共依存」が原因で、本当に色々あった中で。離れていた期間が3年半。また一緒に暮らし始めてかれこれ1年4ヶ月目。そのタイミングで娘も息子も不登校を選びました。


不登校は
わたしにとっても「初めて」の経験。
自分も経験したことがないから、娘と息子と向き合って未来を描いていくしかない。「正解のない」現実。

ただ、実際の2人の日々をみてもらったら、どのくらい「不登校でもしあわせに生きているか」を感じてもらえると思いますが。

さすがに1年以上になり、わたしがまだ不安定だった時期も多々あり。娘自身、時間が経ってきたからこそ考えることも、感じることもあって。不安や葛藤が生まれてくるのは当然なことだし。また、ちょうど小学生から中学生に変わったタイミングでもあるので、そういう意味での「感情の変化」も大きい。二次性徴まっただなか。

こどもはこどもで、ものすごく大きく成長する時期だし。
わたし自身、いまだに大きく成長するために自分自身と向き合う日々は変わってない。

本当に、
ここ数ヶ月です。

娘が、わたしの話を「じっくり聴く」ようになってきたのは。なんとなく、気づいていました。


あれ、、、「もう、いい」って表情してないな。
え、まだ「話したい感じ??」

と。こちらが、びっくりするくらい。


以前とは変わりました。

わたしが話を終わらせても
「まだ、もっと聴きたい」「話したいんだけど」と。
一度話し始めると、娘からの質問や話が終わらなくて2時間くらいあっという間に経ってしまう。
そんなことが増えてきていました。

一緒に暮らし始めた当時は、全然違って。

わたしの方が「話さなきゃ」と、勝手にプレッシャーを感じていて。勝手に、責任感や罪悪感でいっぱいになっていたから。娘に「自分の話」を押し付けていたところがありました。

状態としては「過干渉な親」と同じような感じだったと思います。

不安や自信のなさに飲み込まれると、
イヤだった「母親と同じような言動」を、マネしてしまうのです。

相手のためを思っての行動ではなくて、自分の「不安感」「罪悪感」を埋めるための、自分のための行動。

以前は、そんな選択が多かったので
娘は「もう、いいわ(聞かなくて)」と。
わたしが「話すこと」に対して、実際にそう口にすることもあれば、表情で伝えているだけのときもありました。

そんな娘のリアクションに気づいてはいるけど、どうしても「伝えておかなきゃ」と。そこでも「自分の後悔」の方にフォーカスしてしまい、それを優先してしまうことで「やめられない」と。

こどもたちを引き取って最初の半年くらいかな?
そんな時期がありました。


そして。
わたしは終わることなく、自分のことに向き合う日々が続く中で、色々とわたし自身が精神的にクリアになってくると、「一方的に長話する」ようなことは自然となくなりました。娘が「イヤがる」ようなことを、やめることができた。

そんな時間を経ての、今です。

娘から、要所要所で「お母さん、すごいね」とか「尊敬するわ」という言葉が出てきたり。「世の中のお母さんが、みんなこういう親だったらいいのに」と。だから、「お母さんの話を聴きたい」と。そんな風に変わってきたのです。


娘とは、本当に色んな話をしてきました。

「こころの仕組み」のこと、わたしのリアル。
現実的なことから、感情的なこと、客観的にみたわたし、主観のわたし、一般的なこと、常識、非常識さや失礼なわたしの「失敗談」など。

本人にとっては受け入れがたい「キツイ現実」もあっただろうし、どこまで実際わかっているのかは、本人にしかわからない。彼女が「本当に思っていること」は、実際にわかりません。

だけど、

相手を「子供扱い」して、いつまでも「まだわからないだろう」「難しい話だろう」とこちらが勝手に判断して、大事な話を先延ばしにしたり、適当なオブラートに包んだような誤魔化した言葉で相手に伝えていたら、自分にとっても相手にとっても「失礼なこと」になるんじゃないかと。感覚的に、そう思っていました。

こっちも真剣に生きています。

散々親に嘘をつかれて、現実を歪めたまんま、大人になってしまった。

ずっと「子供扱い」されて「共依存」というお互い不幸でしかないような依存関係を求められ、植え付けられて。自分で「決められない大人」になってしまった。その弊害は、本当に大きかったから。

過保護で過干渉が、いかに「こどもを殺す」ことになるか、イヤというほどわかる。

母親の生き様は
娘にとって全然かっこよくもないだろうし、なんなら恥ずかしいかもしれない。

だけど、
わたしは真剣に、今、生き直している。

そんなリアルを
目をそらさずに感じてもらうしかない。
だからこその不安は沢山あると思う。


わたしが「ダメな自分」しかみてこなかったのだから。
これまでは、そりゃ、不安だったにちがいない。
口には出さないけど、すごく不安だったと思います。


事件後からまたわたしは変わりました。

そんなわたしに影響されてか、娘も変わってきていて。
一つ屋根の下で暮らしているという環境で
どうしたって、良くも悪くも影響し合うということを
毎日リアルに体感しています。

だからこそ、

お互いに「人として」尊重し合うことや、相手に対する配慮や気遣いが必要になってくるし。

たとえ親子であっても、そういう「線引き」はすごく大事になってくると、毎日思いながら過ごしています。

大切にしたい存在と
こんな貴重な経験を共にできていることに
本当に感謝でしかありません。


親として
難しいことも、悩むことも、いっぱいあるけれど。
毎日があっという間。

喜びを共に味わえたり、
悲しみや怒りも、ちゃんと存在して。
人間らしく、「生きている」って実感している。

生きてる実感が、ある。

お互いの「自分のしあわせ」を叶えていける人生に向けて。

娘と息子の、
これからのしあわせのために。
生きているんだなって
毎日、充実した愛おしい日々を
おくっています。

今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。