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正しい話し方



正しい話し方が何なのか分からなくなりました
自分が正しいと思う話し方が相手にどう捉えられているのか分からなくなりました



日頃から応酬話法などを利用している身なので、日常でそのような対応をされると途端に嘘臭さと嫌悪感を覚えてしまいます

精神科でのヒアリングで露骨な傾聴の姿勢を出された時に少し引いてしまうあの感覚です

これも私だけなのかな


会話は所詮テクニックであり
人生は会話のテクニックを惜しみなく使えるかどうかだけの好感度ゲームだと思うと
途端にやるせなくなりますよね

感情や思惑というのは箱を開けるまでは分かりません
相手と答え合わせをするまでは、万事が表現力の巧さで決まります
本当に相手を想った言葉だったのか、建前や付き合いで出た言葉だったのか
言葉の語り手の真意は関係なく、受け取り手の判断で状況は変わっていきます
悲しいとは思いますが、これが現実だと思います




昨今では頂きりりちゃんと呼ばれる定型的対話法で金銭を稼ぐようなメソッドも話題になっています

人の生態や心の動き方の傾向を統計的に分析し、それぞれの人に合わせたコミュニケーションをする───
彼女のブログは、一見すると定型発達の人が発達段階で学ぶようなコミュニケーション技術を一から丁寧に解析しただけの非定型向けエミュレートマニュアルでした

彼女のことを否定も擁護も出来ません
嘘をつき騙し取ること、それ自体は詐欺罪に値すると思います
ですが社会は「嘘ではない範囲でうまく表現して掴み取れ」といった合法的詐欺を高頻度で強要してきます
ひどく醜い社会だ


少し前では、健常者エミュレーター事例集というサイトもブームになりました

"私は当たり前にこうした"と"普通の人間ならこう捉える"の境目を丁寧に解説してくれるサイトです

私も幾度となくこのサイトの事例で救われたので無事非健常者ということになるのですが
世の中には実はかなりの確率で非健常者がいるのかもしれませんね
当たり前に誰かを褒めそやしたりこてんぱんに貶したり出来る人間が同時にこの世にいるということに恐ろしくなります




どうか社会の当たり前に踊らされないでくれと願う一方で
もう縋れる希望がそれしかないんだよなという同情の気持ちもあります

希望が潰えた世界に一筋の煌めく甘い言葉が降ってきたら、それに縋ってしまいますよね
すごく分かります

あと私から言えることがあるとしたら
そういう巧い言葉から自衛する方法は2種類しかないということです

一つ目は、自分を決して健常者だと思わないこと
二つ目は、他人の言葉に期待値を出来るだけ低く見積もること


大抵コミュニケーションエラーを起こったとしたら、自分の中に勝手な理想像を作り上げていることが原因です
明確な詐欺罪でなければ、期待をした私がおかしかったということで乗り越える他ありません

寂しい社会ですが、一緒に頑張りましょうね


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